a-ha THE MOVIE:映画でひっかかったモートンの発言について調べてみた

まず最初に。この記事はネタバレを含みます。また、きっかけは日本語字幕をみて「おや?」と思ったことですが、字幕が間違ってるとか善し悪しの話ではありません。寧ろ、その言葉の裏の真意を想像してみようという感じです。ちなみにタイトル通り、モートンの言葉のみフォーカスしてます。いつもはこの手の話(ノルウェー語関連)は別ブログで書くのですが、今回は番外編ということで…ポスター画像の下から続きます。

その質問は共通ですか?(冒頭箇所)

まず最初に違和感を感じたのは冒頭の質問です。字幕を一字一句覚えてるわけではないですが、インタビューアが「最近のライブでは古い曲ばかりで新しい曲がありません。新譜の予定はないのですか」というようなことを聞きます。ポールはそれに対して、「a-ha用の曲ならもうある」というようなことを答え、モートンは「3ヶ月、3人でどこかへ行ってリリースしたなら信じられる」、マグスは「予定はない。一緒にいるとそのうち殴り倒したくなる」となかなか過激な発言をします。

「予定はありますか?」に対しの答えとしては、ポールは準備万全、マグスは否定といったところでしょうか。しかし、モートンの発言はちょっと毛色が違いますよね。どういうことだろう…と思って、ノルウェー版のブルーレイで発言を確認しました。

文法的に言うと、モートンは仮定法過去で話していて、直訳すると

3人で一緒にどこかへ…、そう、たとえば刑務所に3ヶ月とか。それで釈放されたなら、それ(アルバム製作)も出来てただろうね

ノルウェー語の「リリースされる」も「釈放される」も同じく「解放される」という言い回しを使うので、これはいわゆる掛詞を含むモートン流ジョークだと思います。(正直翻訳した人に同情した…。いきなり刑務所にとか…どうしようと思っただろうな(想像))

最初私は、ポールの「a-ha用の曲がある」という言葉についての反論かと思ったんですが、つまり「既にレコーディングが終わってるならa-ha用の曲があるって信じられたのにな」という意味かと。でも、同じ質問なら、やはり不自然です。

ポールを信じない?

次に違和感を感じたのは『Foot Of The Mountain』の経緯のところです。マネージャーの提案によって、マグスの曲とポールの曲があわさった『Foot Of The Mountain』。ポールはこの曲から自分の部分を抜いてくれと言い、モートンとマグスはそうするならa-haをやめる、或いはポールをクビにすると発言したというくだり。モートンが「ポールを信じてないんだ」というシーンです。モートンの言葉(ノルウェー語字幕)に省略されてた部分を追加するとこんな感じ。

Jeg tror ham ikke helt, rett og slett, kjenner jeg.

trorは「思う」という単語ですが、前置詞påを目的格の前に入れると「信じる」になります。この文章、そのpåがないんですよね。påがつかない場合は、「Jeg tror at det vil regne snart」(もうすぐ雨が降ると思う)とか。だからすごく不自然に感じたわけです。(文法的にも意味的にも)

それでノルウェー語の先生に聞いてみたところ

tror:思う、割と確信してること
tror på :~を信じる tror på at ~ ~なことを信じる
å ha tro på :(更に具体的に)~を信じる  (前述のレコーディングが出来たって信じられると言った部分)

という感じだそうでして。この第三文型的な言い回しはあまり聞かないとのこと。ただ、調べるとイプセンの戯曲などでは「信じる」「信じない」の文脈で、同じ言い回しが辞書で引用されていました。最近の引用は逆にまるでなかったのですが。

kjennerは「わかる(認知する)」なので、上の文章を直訳すると「結局のところ、僕は彼のことを全く信じてないってわかったんだ」。ただ、これは映画での前後の文脈を読むと、「ポールの独特の方法が僕には理解できない」というようなことを言っていて、ポールの言ってることが正しいか検証しようともしてるようだったし、信じてないというと相手の存在全否定みたいに聞こますが、このrett og slett, kjenner jegというのがついてるので、「(ポールの発言について)信じてない」ことに気づかされたという感じに思えます。だって、本当にただ、信じてないだけなら「Jeg tror ham ikke helt.」(僕は彼を信じない)で終わってるはずですからね。

よく女性向け漫画(主にハーレクイン(笑))とかで、「結局、俺が彼女を信じ切れなかったということか…」という独白がありますが、そこまではいかなくとも、彼が信じられないのはポールの方法論なんだろうなーと。彼の仕事の結果は信じる、でもその経過に不信感(或いは不満)があるという感じでしょうか。(あくまで私の解釈です)

Tror…。

さて。ここで冒頭の回答に戻って。冒頭のこの部分にも、「tror」という単語が使われています。

3人で一緒にどこかへ…、そう、たとえば刑務所に3ヶ月とか。それで釈放されたなら、それ(アルバム製作)も出来てただろうね

ここで使われているのは文法上、かなり具体的に「~することを信じてる」という言い回しだそうです。更にそれが仮定法過去、仮定法過去完了(もし私が鳥だったら…とか、この戦いが終わったら結婚式だ!とかは仮定法過去、仮定法過去完了です)になっているわけですね。願望を表す文法です。

正直、この刑務所というのには「え?」となりましたが、刑務所といえば、以前、ノルウェーでテロがあったとき、その犯人が「独房にプレステがない」ことをクレームつけたというニュースを思い出しました。そう、ノルウェーの刑務所って世界一人道的で独房も普通に広くて清潔なことで有名なのです。

気になって調べてみたら、ここは極端な例だとは思うのですが、想像を絶してました。

ここはその中でも一番素晴らしいところらしいので、他も同じレベルとは言わないと思いますが、少なくとも私たちが想像する「刑務所」(刑事ドラマや映画に出てくるような)と、モートンが考える刑務所はイメージ的に遠そうです。なにせ、社会的生活を快適に送れることが大事なようですから。まあ、実際どういうイメージなのかは本人に聞かないとわからないですけどね。

モートンは映画の最後のほうで、「ニューオリンズにブードゥー教の儀式が出来るような広い家を借りてそこで3人で…」と言っているのですが、こちらもイメージされるのは、「広い場所、(誰からも囲まれないような)静かな場所」です。そして、以前にも書いたようにブードゥー教のおまじないは強いので有名なので、ある意味、刑務所同様、強い力が働いてるところですから、ある意味、モートンの中では類似の言葉なのかもしれません。

結果としては、3人ともニューオリンズに部屋を借りて…ってことはないですが、ボードーの自然がいっぱいなところで3人そろってレコーディングして『True North』が出るわけですから、モートンよかったねと思います。映画はロブサーム監督を通してのa-haですが、今回の『True North』は、a-haからの曲と映像のプロジェクトなので、本当に楽しみです。

さて、現在『True North』日本盤リリースの署名をしています。よろしければ署名、拡散をお願いします。勿論、この署名データはこの署名以外には利用いたしませんのでよろしくお願いします。

投稿者: Tomoko

1985年7月4日、期末試験の直前で部活が休みだった日に、たまたまみたテレビ神奈川の「ミュートマ」で『Take On Me』を見てモートンに落ち、8月25日にアルバム発売というので誕生日プレゼントにしてもらって、モートンの声の多才さに感動。その後、タイトルを最後に言うタイプのラジオで「この声綺麗」だと思ったら「I've been losing you」で、これまたモートンだったことから、自分にとって最高の声だと確信。2010年の解散に伴い、翌年からノルウェー語を勉強しはじめ、現在はMCは聞き取れるようになりました。2022/05/20発売の『a-ha THE BOOK』で、モートンのソロについて書かせていただきました。

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