「空中の沢山のボール」(Mange baller i luften)
通勤途中、勉強がてら読んでいた「ノルウェー語イディオム集」に、そんな言葉が載っていて、ふと、頭に『Foot Of The Mountain』のビデオが浮かびました。
調べてみたら英語でも「Too many balls in the air」というのがあるんですね。
どちらも同じ意味で、「仕事や計画などが沢山あって、大きく負荷がかかっている状態」で、ジャグリングの様子から来た言葉とのこと。
英語得意な人とかには「そんな言葉、あたり前」の範疇かもしれませんが、私は初めて聞きました。
まあ、でも、よく仕事で「ジャグリング状態」とか、「音ゲー状態」と言ったりしてるので、結構しっくり来る言い回しだなと。
Foot of the mountainの歌詞の研究は、他にやっている人がいることは重々承知の上、まあ、雑談程度に。歌詞というより、モートンとビデオ中心で。
はじめてこのビデオを見たときに印象的だったのは、やっぱり沢山のボールと、モートン以外の流れるスピード(モートンが時の流れに置いてきぼりされている感じ)、そしてマグネやポールとの絡みにモートンが全く反応しないことでした。
これまでも、a-haのビデオは基本、モートンは他の二人とさほど絡みは極端に少ないので見逃しがちなのですが、今回はマグネが話しかけてくれているのにスルーしているのが特長ですよね。(Minor Earth Major Skyでは、モートンが幻の二人に話しかけようとしているので逆)
これまでのa-haのストーリー性のあるミュージックビデオでは、狼少年の話ベースの『Cry Wolf』、ノアの箱船ベースの『Forever not yours』、映画のサントラのせいか全員死んでる設定の『Velvet』を除き、モートンと他のメンバーは、ほぼやりとりがなかったので、「メンバーが話しかけてくる」設定がとても新鮮でした。
あと、最初にも書いたように謎の珠(ボールと書くとポールと字面が似てるので珠で統一します)ですね。
エネルギーボールみたいに、途中で湧き出てくる。
あれは何なのだろう…と、ずっと思っていたのです。
改めて歌詞をみて珠をみると、最初に出てくる都会の光の流れ、光の円の流れ、そして謎のボール。どれも、モートンより早く流れていって、モートンはその中でゆったり歩いている感じ。
面白いのは、ビデオの最初にダイニングに入るところ。この時、光で出来る円は止まって見えます。
そして、ここで、モートンはマグネとポールとすれ違うものの、反応せず。
混雑したダイニングの喧噪の中で、モートンだけが、まるで『Minor Earth, Major Sky』の宇宙服で幻の世界に迷い混んだときのように、時間が止まってるように見えます。
そして、モートンがこの後増えていく謎のボールに気がつくわけです。珠は二つ。大きい球と小さい球が一緒に空に飛んでいきます。
そして、自然のシーンになると、池からも珠が増えて飛んでいき、ここから先は都会のシーンに戻ると、止まっている光もあるけれど(途中)、しかしマグネ達とモートンに会う直前にまた光の球が進んで、そしてマグネから『All right?』と聞かれてるシーンの後、今度は『3つの同じくらいの大きさの珠』が一定距離で空に向かって飛んでいく。自然のシーンになって最初の珠も3つなんですよね。
そして、徐々に増えてそれぞれがくっついて、色のあった綺麗な珠は集まって重なり「大きくて黒い」塊になって終了。
このビデオについては、どうやら何かの番組で語ったことがあるらしく、探したのですが、youtubeにあるものは権利の関係で音声が消されてしまっていて、何を語ったのか全くわかりませんでした。残念です。
私はこのビデオって、本当にモートンらしいなあと思いました。「高いところでScared of heightsを歌うモートン」も充分モートンらしいですけど、それとは違った意味で。
今回もまた、モートンは『他人と違う時空』を生きています。『Take On Me』で二次元から出てきたり、『Hunting High And Low』で輪廻転生したり、『Minor Earth Major Sky』で違う次元に入り込んだり、『Angel in the snow』で過去にタイムスリップして恋人の命を守ったときのように。
この違う次元との行き来を自然に出来るのこそ、モートン最大の魅力だと個人的には思っているのですが、
それで、冒頭の『空中に沢山のボール(珠)』です。
この珠、私には、『忙しい世界から脱出して故郷でのんびりを妄想するトリガー』に見えます。
徐々に現実(都会の雑踏)が減っていき、最後完全に『妄想』の世界で終了しているような。
それとは反対に、モートンはその流れに逆らってはいないけど、同じ速度では流れず、空に向かって上がりつつけるそれらとは逆に、大地を踏みしめて、砂をつかんで放り投げて、まるで、自分はそちらへは行かないのだという意志を示しているかのようにも感じます。
しかも、この部分の歌詞が『We could live together』だってところが特に。
『やるべきことが沢山あって負荷がかかってる』状態で、時間に追われてたたら、残るのはなんでしょう。
それは、自分がやりたくて出来ないことの後悔かもしれないですし、そのやるべきことから逃げたなら「罪悪感」かもしれません。
色とりどりの小さい珠が真っ黒の大きい珠になってしまうのは、全ての色を包含するからだけれど、なんか、やらないこと・出来ないことへの『罪悪感』や『疲れ』にも見えますね。初めて見てからずっと、この塊は、曲の爽やかさとは逆に「不吉さ」を感じます。
そして、最初の「二つの珠は、『初期のポールとマグネ』。『三つ離れて飛んでい珠』は、『Butterfly Butterfly』の蝶と同じく3人のことのような気がしてなりません。そうすると、当然、飛んでいったボールの中には「モートンが生み出した妄想」もあるんでしょうけれど、最後のほう、手を触れようとしても触れられず、モートン「だけ」が地上に残るという。
あのスピードの中、ひたすらゆっくり、歩くモートンだけが地上(現実)に残るというのを、さんざん『現実離れした役を演じてきた』モートンが演じる。
しかも、まるで寄り添うように歩いていたりもして、それは、まるで、都会の雑踏の中でモートンが妄想している世界の中の出来事のように見える。
更に、冒頭にも書いたように、マグネとポールの二人とすれ違い「言葉を交わさない」の後出てくる珠は「二つ」。モートンは眺めてるけど、眺めてるだけ。珠を(車で)追い始めて現実と妄想がしっかり交わるのは、「マグネに話しかけられた後、三つの珠が出てきてから」です。2010年の解散コンサートのDVDで、マグネはモートンに「ライブの舞台の上での楽しさを知って欲しい」とか、ライブ前にギターを弾いたりして、モートンにお知らせするみたいなことを言っていました。つまり、マグネこそがモートンを『現実の仕事の世界に引き戻す』役割を持っているわけですが、それでいてこのミュージックビデオの中では『妄想に引き込む』トリガーになっています。
上手く言えませんが、『鏡の中の鏡』のように二重・三重構造になっているように感じました。
それにしても、この2009/2010年頃のモートンは、ルックスが半端ないです。いつもかっこいいけど、2000年の無敵モートンに勝るとも劣らない格好良さ。『Summer Moved On』の時よりも若返って見えます。恐るべし、モートン。
はっ、もしかして、『ドリアングレイの肖像』よろしく、このボールがモートンから『老い』ももっていったんじゃ…!(本気じゃありません。念のため)
ってことで、最後にミュージックビデオを載せておきます。