【翻訳挑戦】追放者

先日の「食事風景」の入ってる記事です。
途中自信のないところもあるので、あとで修正する可能性があります。

元記事:
http://www.dagbladet.no/2012/04/16/magasinet/morten_harket/sondag/out_of_my_hands/a-ha/21135756/


もう一つの世界:私たちの偉大なポップスターは、彼自身の宇宙に関する哲学的な考え方を通して、ノルウェー中で「霧の王子」と呼ばれるようになった。彼が知っていることが、私たち他者には解らないからだ。―僕は、人々の自然に対する考え方が近いうちに変わっていくと思っている

追放者

ヒーラーは彼の人生を変えた。だが、モートンは相変わらず世界でたった1人だと感じている

彼が最後の50ペンスを電気の箱に入れると、それは音を立てて落ち、たった一つの電球がかすかな光を部屋中に灯した。
廊下からは猫のおしっこの匂いがした。
湿気はアパート中を覆っており、隅にあるコーヒーの箱はカビを育んでいた。
彼は後ろのドアを閉めてドアの補修テープを押すと、通った後に金切り声のような音を引き出した。
胃袋が食事のせいで、悲鳴をあげていた。
これは1983年、ロンドンでの話だ。モートンは23歳で、誰も彼がお金に困ってるなんて知らなかった。

2012年オスロ

―やあ
モートンは手を前に伸ばして言った
大きくてキッチリしていて、スリム。そして頬に茶色いファンデーション。モートン・ハルケットは
レストランに入ると、無駄にできる時間はなかった。

―写真をとってもいいですか?

金曜日、彼は【Out of my hands】をリリースした。これは彼の5枚目であると同時に、a-ha解散後の
最初のアルバムでもある。机に置かれているアルバムのカバーは、
このバーにいる人物がプールに入っている身体のシルエットだ。
彼は給仕に牛肉について注文をしていた。
ポテトチップスとペッパーソースはなしで、アスパラガスと根菜、それから少量のバターか油を。

ロンドン時代も彼の人生の一部だが、彼は未だに覚えていると言う。
あばらやをマグネ・フルホルメンとポール・ワークターと共有した。お金は底をつきた。

―僕たちはあの頃は、実際、飢え始めていたよ 彼は言う。

―僕は少し不安になったことを覚えているよ、僕は通りの外で気を失ったんだ。
食べ物が不足してね。僕たちはもう先がないところまで来てたんだ

―それはどれくらいの期間、続いたの?

―一年くらいかな、多分。1983年は特別な年だった。
僕は、食料を盗み始めなくてはならないようになると思った。
僕たちは食料を得る手立てがなにもなかった、それで現実的にそう評価せざるを
得なかったんだよ。だけど、僕たちはテリー・スレーターにあったんだ。

スレーターは、a-haの少年たちを発見し、最初のマネージャーになった男だ。
あとはよく知られている、25年間世界を席巻したポップソングの物語だ。
Take on meはみなに歌いつがれている、この歌はビルボードで1位になった。
デビューアルバム【Hunting high and low】から6年後、リオ・デ・ジャネイロでの
のマラカナスタジアムで198000人を動員し、これはチケット売り上げの世界記録と
なった。この記録はまだ破られていない。

―僕たちがどんどん大きくなれたのは事実だよ。まだまだ沢山の取引があったと思うのは、僕たちだけではない。
僕たちは他の方法や戦略を選ぶことができたけど、キャリアについて考えたことはなかったんだ。
僕たちは音楽とは関係のない全てのことについても、大きくて駆り立てるものは異なった反応をした。
だけど、僕たちは若葉だった頃に焦点をあてていたものに振り返ってみたんだ

―底が浅かった?

―そうだね、その頃はとても視野が狭くて底が浅い状態でものごとをみていたよ。だけど、決して終わりにしなかったし、逃げるなんて無理だった。結局そのチャンスは僕たちの外側にやってきたけどね。

半分あけた白いシャツから覗く日焼けした胸元。。前髪は額の下までかかっている。
女性らしさのあるアーティストが自身を表現するように、仕事の中で外見にばかりフォーカスされることを、彼はうんざりしているようにみえる。
ハルケットはプレスは男らしさをより好んでいると思っている

―そうそう。君が男らしいポップスターとして経験することは、女性が普通に純粋さを求められるようなものだよ。

―君は、それについて今日はどう振る舞ったの?

―どういう意味?

―自分の外見について、どう意識した?

―僕は、これを載せてくれないならインタビューに答えないよ。僕は四六時中、実際より若く見えることについて答えなくちゃいけないんだ。
そして四六時中、僕の老化の兆候を追求されなくちゃいけないんだ。僕は今までこのタイプの注目のされかたは好きだったことはないんだよ。

―君に影響を与えている?

―僕がそれを好きではないなら、影響があるだろうね。忍耐力を消耗させられるから。
実際、僕がそれに使ってるのは本当にごく僅かな時間なんだ。
だけど、僕が部屋に入った途端、(マスコミは)写真をとってすぐさま(若さの秘密とか老化の兆候とかを)追跡するんだ。
その状態で、僕が自由に感じられるわけがないよね。
その質問は僕に対して四六時中、発射されるし、毎回同じ点についてなんだ。
これで、僕が自由を感じられると思う?いいや。僕は自由?いいえ。僕のありかたに影響を及ぼしてる?うん。明らかにね。

ハルケットはAskerの信仰心の厚い家で、5人兄弟の次男として育った
彼の家には、彼が学校で折檻をうけていることを知っているものは誰もいなかった。
だけど、そんなものだ。いじめは9歳から12歳まで続き、それは物理的なものというよりも、より精神的なものだった。

―僕は毎日、打たれていたよ。支配的で、支配することが前提の一味だった。
それに参加しない系統のグループもあったけど、むしろ干渉しないという感じだった。
この経験は、僕と僕の人格に対しての攻撃で、僕がどうあろうとどう考えようと、複数の監視人が何が起きているかを見ないふりをしたことも
僕がどうあろうとするかに影響を与えた。
それは僕の生きる意思や生きるための願望を重い足取りにし、僕はより内向的になっていったんだ

―なんでいじめられるようになったんだと思う?

―僕は1人でいて、そして物への好奇心に溢れていたからね。僕が道で話していたことや言ったことが、彼らの方針にあってなかったんだろう
それが大きい階級だったのは、本当にたまたまだったんだ。それは誰の本能にもある。
(暴力を振るう)一味の子供達は、暴力的な注意を与えることに酔っていた。だけど、キツイ年だったよ。完全にね。
僕は集団と一線を画したところにいるということを、とても強く経験したんだ

それが変わることはなかった。モートン・ハルケットはそのままアウトサイダーになった。

彼の居場所はどこにもなかった。この町にも、この国にも。彼が隠れる場所はどこにもなかった。

―虐めの傾向に準備する以上に、脚光を浴びる生活で準備出来ることは何もないよ。君が有名になれば、同じ事が起きるよ。
君は社会から除外されるんだ。全てが変わる。

―世捨て人になるざるを得なかったの?

―自分で考えてご覧よ、誰かに会いたいと思ってもいく場所がないんだよ、この問題は寧ろ、第三者として見なくてはいけないんだ。
それはとても難しいことだよ。君は通りも、店も、自分の家の外は全て失う。
そして、家でも僕はこのことを対処しなくてはいけないし、僕と一緒に住んでいる者もそうなんだ。

―でも、価値があるんでしょう?

―君の人生で君がしてることは価値がある?これを答えるのは簡単ではないよね。
僕たちは名声の価値と、それがどこまで広がるかについて話してるわけだけど。
僕はこれ以上泣き言はいわないけど、30年経った今だから話せるんだ。僕は決して名声が好きだったことはないんだ。純粋に、重要な経費なんだ。それでも僕は、僕が音楽をやっていく限りつきものだと思っているよ。

―音楽を諦めて注目される生活から撤退したいと考えたことはある?

―四六時中、考えているよ

彼はツアーやスタジオに出ていないときは、音楽には時間を使わない。(音楽を)聞くことすらあまりしないのだ。

―僕の家では君は僕が何をしているか質問する対象を発見できないよ。壁にギターひとつ立てかけてないんだから。

―ゴールドディスクですら?

―何もないよ。僕はそういうのを置いておきたくないんだ。寧ろそこに滞在してたり自分の家がある人に押しつけてるんだ。
家ににいるのは僕たちだけさ。

一緒に住んでいるのは、彼のかつてのパーソナルアシスタントだったInez Andersson(47歳)と、2人の間の娘、カルメン(3歳)だ。
又、彼は以前の関係者との間に9歳から22歳まで4人の子供がいる。

―5人の子供の父親になれたことはただただ感謝しているよ。僕は他の父親と変わらないよ。

―でもあなたはいないことが多かったでしょう?

―そうだね、だけど僕はかなり調整してるんだ。
14日以上家をあける場合は、もう一度外に出る前に一度家に戻ることにしてるんだ。
2010年のa-haのコンサートの時は、僕たちはかなり限界まで頑張ったんだ
僕たちは一緒に生活しそういうプロセスにあることに依存していた。
だけど僕は子供との時間をとることが簡単だとは決して思ったことはないし、
今は若かった頃より子供との時間を持つことに対し、厳しくなってるんだ。

―何か違ったことをしたかった?

―そうだね。沢山ではないけど何かをね。僕は長いこと、君が仕事に時間を取るようには子供との時間を取れないと考えるのと同じ妄想の中で生きてきたんだ。だけど、もし君がカレンダーに他のことを追加できないのなら、まさにやらなくちゃいけないんだ。
僕は長いこと子供との時間を取れなかった、僕はそれがひねくれたアプローチだと思っていたからね。
だけどそうではないんだ。僕の人生で子供以上に目をむけるべき価値があるものは存在しないんだ。

ハルケットのスピリチュアルな側面は、年月を通して大きく成長した。
彼のかかりつけのヒーラーJan Jacobsenは、モートンの世界へのアプローチ方法を変えた。

―なんでヒーリングを試したの?

―僕のよく知ってる人が試してみるべきだと言ったんだ。
僕は自然にとても興味があったけど、当時、僕はこうした代替治療について疑問を持つ教育からスタートしたんだ。
だけどヒーリングが僕に効果があったことを目の当たりにしてから、僕は代替治療全般について謙虚にならざるを得なくなった。
以前はこのカテゴリについて僕は論争をしていたけど、もうしないんだ。
僕たちが知らない世界のコミュニケーションの形が存在しているのは申し分ないくらい明らかでヒーリングもそのうちの一つだ。
僕がヒーリングで解ったことは、とても沢山あってそれが効くということに疑う機会は全くなかったんだ。

―何があなたに確信させたの?

―僕は離れたところから僕の身体に影響を与えるものを感じたんだ。
立ち上がって見回しても何かが繰り返し起こすものはなかった。
僕は君が同じ部屋に入ってきてから、沢山のテレパシーのような側面を見てるんだよ。

―ヒーリングで助かったことは?

―風邪、喉の痛み、食中毒とかそういったものだよ。
それは呪文とかじゃなくて、作用するものなんだ。
ツアーやスタジオにいるときはストレスが大きいからね
僕が30年の間アーティストとしていられることを助けてくれるのはヒーリングであって古典的な薬じゃないんだ。

ハルケットは長く話し続け私は宇宙の起源である【量子力学におけるゼロポイント】に話題は映った。
彼は全てにおいて、僕たちが信じている以上のことがあると思っている。

―ヒーリング関連のディスカッションフォーラムでは、実質的な見解を持つ注目すべき人たちが表明できないでいるんだ。
宇宙が自分自身で完全な形になったとは、完璧に信じられない。僕は現実の後ろには意識が存在すると確信してるんだ。

好奇心はいつもモートン・ハルケットを支配している。
12歳のときに彼が蝶に出会ったとき、彼には強いエネルギーがあった。彼は蝶が目に入るとその後をおいかけはじめた。
決して見失わなかった。

―彼らの飛行パターンは、見失われやすいようにデザインされてるんだ。
昆虫を直接見ることが出来ないと学ばされるけど、影についていくことはできる。
僕の目はいつもそれを記録するんだ。

―あなたはそれをどうやって学んだの?

―自分で発見したんだよ。

―つまり、正当な蝶を捕まえる人なの?

―その時はそうだったんだ。もし僕が鍛錬していたことがあるのなら、その頃だろうね。
いい有酸素運動だからね。僕は蝶を捕まえて、酢酸で殺して板に貼り付けたんだ。

―周りを羽ばたいてるときが最も素晴らしいんじゃないの?

―うん、でもその時は僕は近くで蝶を見て勉強する必要があったんだ。
それはとても激しい原動力となったけれど、その反面、殺してしまうことには反対の概念もあったんだ。
今日、僕は彼らを破壊することなく扱う方法を知ってるんだ。僕はそれが得意なんだよ。

彼は肉から脂身をカットした。

―だから、今日では、僕は捕まえたら近くで観察してそしてそれを逃がしてあげるんだ。

<Morten Harket(52歳)>
職業:アーティスト
市民ステータス:Inez Anderssonと同棲している。
彼らにはカルメン(3歳)がいる。
以前の婚姻関係で4人の子供がいる。
話題:「Out of my hands」が金曜日にリリースされた。

<人生からの教訓>
9歳から12歳まで僕は学校での虐めの標的だった。
僕の子犬をボロボロにもした。それで僕は本来より早く成熟したんだ。
後になって、僕は暴力を振るっていた連中が、そのことについて最小限の記憶しかないことを
理解したんだ。僕はよく考えるよ。
だけど、あの時代にあったことが、今の僕に影響を与えているんだ。
それは僕の中に居座っていた。僕は社会現象としてのいじめに関心があるんだ。
特に自分が子供をもうけた後はね。
どれだけ小さいことでも僕たちがしたことを他の人が踏みにじったと感じていることに
気づくようにしてるんだ。


<ソロ活動再開>
2010年12月4日のa-haとの最後のコンサートでオスロのスペクトラムに居場所を見つけたんだ。
それは完全にいつものコンサートだった。とても素晴らしい時間だったけど、それ以外の感情はなかったよ。

関連:モートンの食事風景

投稿者: Tomoko

1985年7月4日、期末試験の直前で部活が休みだった日に、たまたまみたテレビ神奈川の「ミュートマ」で『Take On Me』を見てモートンに落ち、8月25日にアルバム発売というので誕生日プレゼントにしてもらって、モートンの声の多才さに感動。その後、タイトルを最後に言うタイプのラジオで「この声綺麗」だと思ったら「I've been losing you」で、これまたモートンだったことから、自分にとって最高の声だと確信。2010年の解散に伴い、翌年からノルウェー語を勉強しはじめ、現在はMCは聞き取れるようになりました。2022/05/20発売の『a-ha THE BOOK』で、モートンのソロについて書かせていただきました。

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