VG+の記事:a-ha復活の真実

VG+の記事の訳です。

a-ha復活の真実

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モートン・ハルケットとポール・ワークター=サヴォイは、初めて、マグネ・フルホルメンに何も知らせずに、一緒に仕事をした。そして、a-haは新譜を作った。スタジオで会うことなく。

- (3人一緒で)嬉しいですか?
VGは遂に、a-haの3人全員をVækerø Hovedgårdに集め、写真家は3人に雰囲気を和らげるために、共通の質問をした。

「僕らは、その真ん中にたつ前に、そのことを考えないようにすることを学んできたんだ」モートンがにやりと笑って言うと、マグネが続けた。
「僕らは、起きてもいないことを心配しないことを学んできたんだよ」

大分時間がたってから、オスロ西部のポールの別荘でお茶をした後、モートン宅とAskerにあるマグネのアトリエまで車で訪ねた。これは、VGに彼らが2010年の解散後に築き上げたものの土台をみせてくれた。

やめたくない

ポールは、解散コンサートの成功のあとも解散したくなかったことはよく知られている。
「マグネとモートンはツアーを終わらせるオーケストラだったんだ、僕は同意しなかったけど。でも、そう長く続かなかった。マネージャーが説明したんだ、『ああ、で、君たちがやめてしまうことを、君は乗り越えたのかな』って。僕は沢山、曲を持ってたからね」Vinderenのソファでポールはそう語った。
「1年半後、モートンと僕は曲をテストして、それがどんな感じになるか見てみることに同意したんだ。凄く良い感じだったよ。」
彼は、その状況は80年代、バンドがナースネスにある両親の小屋で初めてデモをプレイしたときと同じ状況だったという。全くのマスコミの無い状態で。

a-hajapan1985年10月 日本にて. Foto: JANNE MØLLER-HANSEN

マグネはオスロ西部にあるポールのリビングには参加しなかった。この時は連絡をされなかったのだ。
なにもドラマチックなことはなかった、とモートンは主張する。

「こちらから彼に言わないことは、不自然だった。僕は彼と一緒になにかやるなら、いつだって出来たんだから。もし、一緒にやることについて話していたら、それはバンドの件になったことだろう。そして、僕らが全ての活動を報せていた場合、それはとても骨の折れるものになっていたと思う」
マグネは、他の二人が一緒にやっていることについて知らされなかったことは、傷ついたと発言している。

「いや、僕は他の二人が僕抜きでa-haをやっていくのを評価していたんだ」

-しかし、あなたがいなかったら、復活はなかったのでは?
「僕はそうは思わない。その件については考えられないな」

a-ha1985
出発準備:Fornebu空港にて 1985年8月27日 世界的ヒットのさなか
写真: BJØRN SIGURDSØN, NTB SCANPIX

-彼らはあなたがいなかったら、a-haって呼ばれたくないのな?
「うん、僕は、彼らが見知らぬ場所にいってしまったとは思ってない。僕は彼らには何も言わずに、考えられるだけ考えたんだ。モートンは、僕ら3人でのa-haにいるのは明らかだし、僕はそう主張してきた。
でも、僕にはそれ(彼らが二人でやっていくこと)が不可能にはみえなかった、いいや…。もしそうなったら、彼らはどうやってやっていくか合意しなければいけなくなっただろう」

一緒にレコーディングしてない

マグネは、a-ha復活の決定は、モートンとポールにとっての成熟したプロセスと共に、マグネ自身にはストレスがあったという。

aha1998最初のカムバック:1998年 Frognerseterenにて。2000年にアルバムリリースすることが宣言された。
写真: HEIKO JUNGE, NTB SCANPIX

「僕はずっと『いやいやいや…、あれは完璧な終わりだったじゃん、君たちは一体、他に何をするの?』って、言い続けてきたんだ。
彼は抵抗したにもかかわらず、a-haの為に再び曲を書けることに、とても大きな喜びを感じてることに驚いた。

Rock In Rioからのオファーが復活のきっかけになったことは確かだが、a-haは80年代の思い出のバンドとしての復活にはしたくなかった。新しいアルバム『Cast In Steel』は用意できたが、バンドは今まで一度も一緒にレコーディングしていない。これは、ポールが残念に感じてることだ。
「僕は、一緒に来たかった。それが、僕らが音楽をやる方法だ」
彼はまた、アルバムの全てにおいて、あるプロデューサーを熱望していた。アラン・ターニー、a-haのファーストアルバムのプロデューサーだ。実現はしなかったが。
また、モートンはツアーの後、彼らは一緒にレコーディングすべきだと言う。

「実際には、バンドの観点から、僕らは一つのスタジオでレコーディングし、3ヶ月一緒に滞在するべきだった。ツアーの後なら調整しやすいけど、僕らは一緒に作詞し、一緒に音楽をつくるべきだった」
―ポールもそう言っている?
「でも、彼はなかなか外に出てこないからね。これでもかってくらい。だからこれは、現実的ではないんだ」
アルバムには最終的に12曲が選ばれ、沢山の曲がお蔵入りした。
「僕(マグネ)は遅れての参加だったし、ポールはもう終わったと考えていたと思う。でも、僕たち3人が揃うことは明らかな望みだったから。a-haは僕たち3人であって、僕たち3人の声を必要としてるんだ」

『完全なカオス』

ポールは選択は『完全なカオス』であるとし、かつての『A&R』の担当者を酷く恋しいという。レコード会社の人で、混沌を切り裂いていてくれていた。
「僕らが、それぞれ火種をもっているときに、どうやって同意に至るか。とっても煩いし、どれだけエネルギーを使うことになるか:OK,次のアルバムね。このアルバムを再度聞くには、10年が必要っていうような感じになってるんだ。今は僕は次の新しいプロジェクトにかかりっきりなんだ。これこそ、僕が自分らしく進む方法なんだ」

モートンは、最終的に彼の作った曲のうち2曲がアルバムに入ったが、その2曲について戦う必要はなかったという。
「僕は、実際には戦ってはないんだ。はっきり言ってね。僕はアルバムにとって、ベストだと思うものについては戦うけど、僕にとって、自分の曲をプロモートすることは難しいことなんだ。僕は、自分の作品を客観的に見る才能に自信がないんだ。
だから、僕は偏った見方なしに評価できる人の言葉に耳を傾けることにしているよ。僕はマグネとポール、どちらにも聞かないんだ、二人とも当事者だからね」

2015年のa-haは、スタジオでジャムセッションすることからは遠のいている。
マグネは、こう説明する。

「以前は、作っていく過程こそが僕らの共通言語だったんだ。今は、それぞれが3人のために働いているにもかかわらず、a-haそのものが共通言語なんだよ」
ポールは、この不足した協力体制について、こう述べている。
「今までとはだいぶ違っているんだ。僕にとって、a-haと呼ばれてきた最後の3枚のアルバムは、各々が力を発揮したアルバムだと感じてるんだ。1/3ずつがa-haと呼ばれている傘の元に集まったものなんだ。」彼は、今日のアルバムを作るプロセスについて言及した。

30年一緒に夕飯を食べてない

モートン、ポールとマグネは、Vækerø Hovedgårdに集まったときも、さほど話をしなかった。そして、彼らのインタビューは2000年以来そうであるように、それぞれが別々に行われるだろう。しかし、お互いに顔を合わせるのは我慢ならないというのはただの神話で、私たちはメンバーの言うことを信じよう。
ポール:
「お互いに連絡を取り合うときは、一体感を感じるよ。喧嘩も殆どない。インターネットの発明で、喧嘩することが難しくなったんだ。文字としてここから、メールであそこから、そして他の人から…というように、広がるからさ。そしたら、マネージャーが僕らを集めるのさ。今度、僕らは、夕飯かランチを一緒に取ろうと思ってる、『スタートに戻る』ってことさ」

そして夕食も一緒になった。マグネの言葉を信じるならば、彼らはもう何年も、そうやって一緒にすごすことはなかった。しかし、今年の夏、ドイツでのプロモツアーで、何かが起きた。
「僕らはここ暫くで初めてインタビューを一緒に受けたんだ、なんか変な感じだったけど。笑いっぱなしだったよ。問題は全く起きることなく、僕らはついには一緒に夕食を食べに行ったんだ、3人だけでね。30年目にして、一緒に夕食を食べに行くことになるとは思わなかったよ」
「僕らは赤ワインを飲んで、請求書はレコード会社に送ったんだ。凄く楽しかったよ」
「一緒にいるとすり切れてしまうようになるのは、不自然なことじゃない。それも30年もいれば誰でもね?2人でも充分難しいのに3人なんだからさ!
30年間、複雑なことにならずにいられたら、僕はきっと、この三角関係を好きだったと思う。」 マグネはクスクス笑いながら言う。

それは一つの疑念かもしれない。2015年のa-haがグループとして「存在しているのか」ということだ。私たちは、ここでモートンの〆の言葉で終えたいと思う。

「僕らはa-haという魔法にかかったグループなんだ。それは僕らが集まって発動する。僕たち3人の間にあるポテンシャル、それがa-haなんだ」


この記事、概要一覧でのサムネイルには下の画像を使っていました。なんて、かわいい。

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3人ともあえて表情を若かりし頃の写真と同じにしているように見えますね。

また、この記事中にある3人で一緒に夕食を取ったというのは、恐らくこの時ですね

この記事を読んで、モートンとポールはもう少しマグネに気づかいをしてあげたらいいのに…と思うのと同時に、
「モートンは3人でやるa-haのモートンなんだ!」というマグネの言葉に、(同性愛的な意味ではなく)モートンへの愛を感じました。

投稿者: Tomoko

1985年7月4日、期末試験の直前で部活が休みだった日に、たまたまみたテレビ神奈川の「ミュートマ」で『Take On Me』を見てモートンに落ち、8月25日にアルバム発売というので誕生日プレゼントにしてもらって、モートンの声の多才さに感動。その後、タイトルを最後に言うタイプのラジオで「この声綺麗」だと思ったら「I've been losing you」で、これまたモートンだったことから、自分にとって最高の声だと確信。2010年の解散に伴い、翌年からノルウェー語を勉強しはじめ、現在はMCは聞き取れるようになりました。2022/05/20発売の『a-ha THE BOOK』で、モートンのソロについて書かせていただきました。

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