a-haデビュー40周年セレブレーション レポート<2>

a-haデビュー40周年セレブレーション レポート<1>からの続きです。

アルバム『Hunting High and Low』と邦題

イベントの冒頭、「今日は男性ファンもありがとうございます」という言葉と共に明かされたのが、『Hunting High and Low』の売り上げの話。ちょうど男女半々だったそうです。あの当時、ファンは女子ばっかりみたいなイメージがありましたけど、実際は半々だったのですね。

『Hunting High and Low』のジャケットは、当時のワーナーのデザイナーをやっていた方がされていて、他にはマドンナの『Like A Virgin』のジャケットを手がけた方だったそうです。(すみません、メモを取っていなかったので名前までは覚えられませんでした)
佐藤さんは、このジャケットを見て、いわゆるアイドル売りじゃない部分に好感を持ち、更に『The Sun Aloways Shines On TV』を聞いて、彼らの音楽性の幅広さを実感し、これはいける!と思ったのだそうです。

そこで、邦題の話になったのですが、当時は邦題をつけるパターンが非常に多かったそうで、でも、ベストヒットUSA育ちだった佐藤さんは、邦題をつけず、そのままにしていたそうです。曰く、「それまでのパターンだったら、『Take On Me』は”二人のテイク・オン・ミー”みたいなタイトルになっていた(可能性がある)」そうで、まあ、確かに『カーマは気まぐれ』とかあったもんなー…と。個人的には『Take On Me』が『二人のテイク・オン・ミー』にならなくてよかったです。

そんな中で、数少ない邦題をつけた曲が『The Sun Always Shines On TV』(シャイン・オン・TV)、『Train Of Thought』(ストレンジャー・トレイン)、『Living A Boy’s Adventure Tale』(ボーイズ・アドベンチャー)、そして『Stay On These Roads』(ステイ・オン・ディーズ・ロード)だったそうです。ストレンジャー・トレインは、「トレイン・オブ・ソート」とすると字面的にイマイチという理由、シャイン・オン・TVとボーイズ・アドベンチャーは、カタカナにするとすごく長くなるからという理由だったそうです。(曰く、ポールが長いタイトルをつけるから…と)。そして、「ステイ・オン・ディーズ・ロード」ですが、これは”ローズ”だと薔薇と勘違いされそうだからとのこと。確かに。

そういえば、『Hunting High and Low』の販促には、先着3万名様にアルバムにはポスターが、そしてテープのほうには、「フォトカード」が入っていたそうです。どんなものが入っていたかはご存知ないそうで、会場で「持っていた人いますか?」という質問がありましたが、残念ながらどなたもいらっしゃいませんでした。

ジューシー・フルーツ・ソングから『Take On Me』への話

イベントは途中、休憩を挟んで行われましたが、休憩前の最後の話が、『Take On Me』が出来るまでの話でした。Bridges時代の『The Juicy Fruits Song』と、映画でマグスが「あるバージョンでは途中でニワトリの鳴き真似をする。名案だと思った。でも売れなかったから名案じゃなかった」と言っている『Lesson One』がかかりました。

荒野さん曰く、この当時は、やる気のない感じで歌うのが流行っていた時代背景もあり、『The Juicy Fruits Song』はこんな歌い方になったのではないかと。佐藤さんも、そういう時代だったと話つつ、モートンというボーカルにポールとマグスが出会えて良かったと話されていました。

そして「ニワトリの鳴き真似」の『Lesson One』。

この曲、モートンの声がすごく優しくて好きなんですが、やっぱりニワトリの鳴き真似が良くないと思います(笑)。なんで名案だと思ったんだろ…。誰の案だったのかはわからないとのことですが、映画ではマグネが発言してるから、やっぱり彼の案なんですかね?

この曲では、シンセの音もちょっとチープになっていて、このままだったらデビューは難しかっただろうというのがお二人の見解でした。まあ、それは…そうかも。そこに、トニー・マンスフィールドが入って、84年版になり、更にアラン・ターニーによって85年版になるわけです。

トニー・マンスフィールドと言われても、私にはしっくり来なかったのですが、荒野さんが、トニーがプロデュースした曲として、この曲をかけてくれました。

確かにこの曲は知ってます。なんなら、わりと好きな曲でした。ビデオには覚えがあまりないので、多分ですが、以前出た80sオムニバス(ブルー、レッド、イエロー)のどれかに入っていたのかもしれません。この曲のプロデューサーが、84年版のプロデューサーというのは、納得です。でも、やっぱり私はアラン・ターニープロデュースの85年版が好きです。(ついでにいうと、MVは4Kバージョンよりもオリジナルが好きです。youtubeで探しても今は4Kバージョンしかリンクできないのですが…)

a-haは、ワーナーUKの第一弾アーティストだったそうで、なるほど、だからこそ、この力の入れようなわけですね。そして、だからこそ「メンバーのソロを出す時は、ワーナーから出す」という条件までついていたのですね、勝手に納得しました。

そうそう、『Juicy Fruits Song』と『Lesson One』を少しかけたとき、荒野さんのフェードアウトのさせ方が、映画と同じだったような気がしたんですけど気のせいでしょうか。

最後に『Take On Me』にまつわる謎ということで、荒野さんがある話をしてくれたのですが、それについては文章として書いてしまうと、誤解を生みそうなので割愛します。

a-haデビュー40周年セレブレーション レポート<3>に続く。

投稿者: Tomoko

1985年7月4日、期末試験の直前で部活が休みだった日に、たまたまみたテレビ神奈川の「ミュートマ」で『Take On Me』を見てモートンに落ち、8月25日にアルバム発売というので誕生日プレゼントにしてもらって、モートンの声の多才さに感動。その後、タイトルを最後に言うタイプのラジオで「この声綺麗」だと思ったら「I've been losing you」で、これまたモートンだったことから、自分にとって最高の声だと確信。2010年の解散に伴い、翌年からノルウェー語を勉強しはじめ、現在はMCは聞き取れるようになりました。2022/05/20発売の『a-ha THE BOOK』で、モートンのソロについて書かせていただきました。

“a-haデビュー40周年セレブレーション レポート<2>” への1件の返信

  1. martin etou さんの発言:

    アランターニーはa-haの4人目のメンバーだと勝手に思っています。
    だって……
    数々のDEMO曲や晩年のアルバムなど聴いていると
    サウンドがまるで違う。
    Butterfly, Butterfly (The Last Hurrah)を聴いたときに
    少しサウンド的に戻ってきたかなと思ったけど
    もしアランターニーが関わっていたらどんな曲だっただろうと想像している自分がいました。
    (※個人の感想です)

    返信

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