a-haデビュー40周年セレブレーション レポート<3>

レポート<2>の続きです。

このイベント自体が『a-ha快進撃の裏側』といえば、その通りなのですが、後半は特にその話が中心となりました。

ボーイズ・アドベンチャー:快進撃の裏側

<1>でも書いたように、佐藤さんはこれまでの「ラジオと雑誌」から「ミュージックビデオとテレビ」を軸足にした戦略に切り替え活動されていました。

当時の記憶を辿ると、身近で一番流れていたのはテレビ神奈川(ファントマ、ミュートマ)と、来日の度に出る「夜ヒット」でしょうか。「ベストヒットUSA」にも出ていたけれど、テレビ神奈川(ミュートマ、ファントマ)と夜ヒットのほうが記憶に残っている場面が多いです。

佐藤さん曰く、初めて「夜ヒット」に出た翌日、なんと『Hunting High and Low』に25000枚の注文が殺到したそうです。店頭にない分、発注かかって大変だったようで。一晩で25000枚の追加はさすがにすごいです。

テレビ神奈川のファントマは、MCでシャーリー富岡さん、中村真理さんが出演されていました。a-haのライブもありました。佐藤さんは、このシャーリー富岡さんに、a-haの衣装についてのアドバイスを貰っていたんだとか。

『a-ha THE MOVIE』をみたとき、「あれ?ファントマで流れた映像が多い…」と思ったのですが、やはり、ファントマとはかなり連携をとられていたそうで、映画にも出てきた京都でのシーンとか新幹線のシーンとかは、ファントマのスタッフさんが撮られていたと、夜の部でお話してくださいました。(夜の部は、客席にファントマのディレクターの方がいらっしゃっていました)。

そういえば、テレビ番組で、a-haのボイスが入っためざまし時計プレゼントもありましたね、この時代。ファントマか、MTVか、夜ヒットか。どれだったか…。

『ROCK SHOW』

テレビとミュージックビデオ中心とは言え、あの頃、お小遣いでどの雑誌を買うか悩むほどには、a-haは雑誌に出まくっていたと思います。『ROCK SHOW』、『IN ROCK』、『VIVA ROCK』、『Music Life』。特に、『ROCK SHOW』と『IN ROCK』は写真の量・記事の量ともに甲乙付けがたく、当時私以外にもどっちを買うか悩んだ人はかなりいるのではないでしょうか。

佐藤さんによると、『ROCK SHOW』は初期からa-haに乗ってくれた音楽誌で、なんと毎月必ず載せてくれていたのだそうです。そして、前述した京都旅行に帯同したのも、『ROCK SHOW』と『ファントマ』だったそうです。ちなみに、あの映像で、メンバーがみんなカメラを持っていた理由は佐藤さんが「観光旅行」だと瞞して連れて行ったからだそうです(笑)。

「『ROCK SHOW』はお弁当ネタまで出してでも、載せてくれた」そうで、編集長だった宮崎真理子さんの思い出についても語られました。『ROCK SHOW』では当時、ミュージシャンによるレコードレビューコーナーがあり、実は『Hunting High and Low』を小室哲哉がレビューしていたとのことで、荒野さんが(小室哲哉っぽく?)朗読されていました。

今日、その『ROCK SHOW』を持っている方がフォロワーにいらっしゃって、送ってくれました。許可が出たので載せますね。

『噂の美少年トリオ』…。20代中盤が少年かどうかは兎も角として、編集部のお薦めっぷりを読むと、当時のことを思い出しますね。

全国ツアーとか

洋楽で、東名阪以外にも足を伸ばしてツアーをやったのは、a-haが初だという話がありました。佐藤さんが、86年から88年の来日ツアーの場所を読み上げ、「これに行ったことがある人ー?」といって、会場が手を上げるという一幕も。

思い出を愛おしそうに語る佐藤さん

85年のプロモ来日も、86年以降の東名阪以外の都市を含んだツアーも、洋楽としては非常に珍しいことだったのだそうです。a-ha応援団のPRの話以外にも、アルバムが出た時に問い合わせの電話番号としてワーナーの番号を書いたら、何度も同じ女の子(ファン)から電話があった話とか、コンサートに足を運んでたら他の仕事の時間が少なくなるので注意された話とか。a-ha人気がいっきに火がついて、音楽誌以外からも取材依頼が来る頃には、ライブの準備で忙しく、音楽誌ですら取材を断ることになった話とか(そして嫌みが書かれた)。聞けば聞くほど、佐藤さんの当時のがむしゃらっぷりに尊敬を感じました。今だと「ブラックな働き方」と言われかねないけれども、あの当時の大人の人達は、本当にパワフルだなと思います。そのエネルギーが、あの80年代という、キャッチーでド派手な時代を作ったのだなと思わずにはいられません。日本の男性でも紫のスーツとか着ている人がいたあの時代は、やっぱり、ちょっと違うのかもしれないとも。

今回、質問コーナーとかは特になかったので聞けなかったのですが、もしあったら聞いてみたかったことは、「コンサート会場に必ずあったプレゼントBOXは、やっぱり佐藤さんのアイディアだったのでしょうか」と聞いてみたかったです。今でこそ、2.5次元系とかでたまにみかけますが、正直、2018年のドリフェス!のライブまで、a-ha以外にプレゼントBOXのあるコンサートを見たことがありませんでした。あのプレゼントBOXには本当に感謝してるんですよね。あれがあったから、思いを伝えようと英語の勉強を頑張れた部分もあったと思うので。

宮崎さんのこと、モートンのこと

イベントの終盤、佐藤さんから、元ROCK SHOW編集長の宮崎さんが亡くなったという話があり、黙祷をしました。『a-ha THE BOOK』の対談が、最後のお仕事だったのだそうです。私たちは、別に面識があるわけではありませんが、自分たちの青春を支えてくれた雑誌の編集長が亡くなってしまったというのは、やはり寂しさを感じます。『ROCK SHOW』が休刊になった時、ショックで、かつ若かったので「休刊」を信じていつ戻ってくるのだろうと本屋に通い詰めた日のことを思い出しました。

そして、モートンの病気(パーキンソン病)について佐藤さんが思うことについても語られました。普通の病気のように、薬を飲んで治るというようなものではなく、本当に難しい病気であること。だからこそ、彼に「また、Hunting High and Lowが歌えますように」みたいなことは言わないでほしいということ。モートンがありのままで幸せでいられるようにあってほしいこと(一字一句覚えてるわけではないので、誤解してたらすみません)等。

そうして、昼の部では、佐藤さんが自分とa-haのテーマ曲と思っている『Living A Boy’s Adventure Tale』が、夜の部では『And You Tell Me』がラストの曲を飾りました。どちらも、思わず涙が出そうになりました。

昼の部では、私たちが享受していたものへの尊敬に。夜の部では、「じゃあ、君はこれから何を語れるのか」という意味を勝手に感じて。プレゼントBOXに手紙を入れるために英語を頑張ろうとか、コンサートチケットやアルバムを買って貰うために成績を上げようとか、「必修授業の合間に北欧文学科の授業に潜り込んでノルウェー語学べるかもしれない」という理由で大学決めたりとか、a-haの解散でノルウェー語を始めたりとか。そうやって、いつもどこかにa-haというか、モートンの存在があって後押しをしてきてくれた人生だったので。
佐藤さんは今回がa-haについて語る最後と仰っていたので余計に。佐藤さんにも「40年間ありがとうございました」と伝えたい気持ちで一杯です。あの頃に佐藤さんが我武者羅にに頑張ってくれたお陰で、今の自分があると思うのです。

a-haは新しい技術と相性が良い星回りだし、メンバーはみんな負けず嫌いっぽいし、彼らなら、今のモートン・これからのモートンで表現出来る新たな曲を作ってくるかもしれません。無理強いするとかではなくてね。そんな日がいつか来るといいなーと夢想しつつレポートはこれで終了です。長々と読んでくださった皆様、ありがとうございました。

そして最後に荒野さん、佐藤さん、ステキなイベントをありがとうございました。

投稿者: Tomoko

1985年7月4日、期末試験の直前で部活が休みだった日に、たまたまみたテレビ神奈川の「ミュートマ」で『Take On Me』を見てモートンに落ち、8月25日にアルバム発売というので誕生日プレゼントにしてもらって、モートンの声の多才さに感動。その後、タイトルを最後に言うタイプのラジオで「この声綺麗」だと思ったら「I've been losing you」で、これまたモートンだったことから、自分にとって最高の声だと確信。2010年の解散に伴い、翌年からノルウェー語を勉強しはじめ、現在はMCは聞き取れるようになりました。2022/05/20発売の『a-ha THE BOOK』で、モートンのソロについて書かせていただきました。

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