a-haデビュー40周年セレブレーション レポート<1>

2025/08/31に開催された、a-haデビュー40周年セレブレーションイベントに参加してきました。
場所は、西荻窪の「アナログ天国」で、パッと見、普通の住宅街にあるお家という感じで、危うく見過ごすところでした。

窓に通りの人が映り込んでますね。中はというと、これは席の前のほうですが、右側に大量のアナログ盤が。

奥の壁にみっしりとアナログ盤が格納されていました。そして、ブースの右端には『a-ha THE BOOK』。ブース左側には『a-ha THE MOVIE』の『Hunting High and Low』「Scounrel Days』。

始まる前のBGMも勿論a-haです。スピーカーの名前まではわかりませんが、ヘッドフォンじゃ聞こえない音まで聞こえるよいものだとうことで、大きさも相当。これが、ブースの左右に設置されていました。(イベントのページでみたところ、ALTEC A7というものだそうです)

さて、今回のイベントは、『a-ha THE BOOK』の編集をされてもいる、元CROSSBEAT編集長 シンコーミュージックの荒野政寿さんと、a-haファンにはお馴染み、元ワーナーパイオニアでa-haのディレクターを務めた佐藤淳さんのトークイベントでした。

そっか、お話を聞く機会はこれが最後なのか…ということで、昼の部・夜の部両方参加することに決めたのでした。昼の部、夜の部ともに話の内容は基本同じということで、実際にそうでした。若干、別の話もありましたので、このレポートでは、昼の部・夜の部編で分けず、必要に応じてどちらの部の話か付け足しつつ、書いていこうと思います。都度、思いだしたことや感想も入っているので長いです。


会場はブースの椅子が並べられ、所々に机があって飲物がおける感じになっていました。それほど大きい場所ではありませんが、始まる頃にはほぼ満席に(これは昼の部・夜の部ともに)。私のように2回参加する人もいましたが、昼の部のみ・夜の部のみの人のほうが圧倒的に多かったように思います。昼の部が即売り切れになっただけあるなと思いました。

a-haもディレクターも時代の申し子

まずは、佐藤さんが担当されていたミュージシャンの話から入りました。佐藤さんが、a-haを担当したのは社会人二年目で、初めて最初から自分が担当したミュージシャンだったと。先輩から引き継いだプリンスで「パープル・レイン」に関わり、そのパープルレインに出ていた女優さんのパワフルな1日に付き合わせて一瞬、死にかけた(本当に)という話もあり、あの時代、バブル期の「24時間戦えますか」を地で行く社会人生活は、本当に時代も人もパワフルだったのだなと感じます。

これまである意味先輩の元カノみたいな感じで、先輩の担当していたミュージシャンを引き継いできたのが、初めて自分がゼロから関われたのがa-ha。自分の好んで聞くスタイルとは違うタイプのミュージシャンを担当したことで、本当の意味でプロになったのだと仰っていて、「なるほど」と思いました。そして何より面白かったのが、佐藤さんが「ベストヒットUSA」で育った人で(昭和の言い方でいうなら、「ベストヒットUSAっ子」がぴったりかも)、それまでの売り方である「ラジオと雑誌」から「ミュージックビデオとテレビ」に売り方を変えたのが佐藤さんだったと。(勿論、アルバムについてた葉書にあった質問・このミュージシャンを知ったきっかけに、「ベストヒットUSA」という回答が増えつつあったという背景もあったそうです)

ここで思いだしたのが「ミュージックビデオ」の呼び方。今でこそ、「ミュージックビデオ」と言っていますが、あの当時、「PV(プロモーションビデオ)」と言われてましたよね。いつ変わったのかわかりませんが。プロモーションビデオというのは、まんま、プロモーション活動をするためのビデオなわけで…。ベストヒットUSA好きな佐藤さんと、今までにないアニメーションと3次元を融合したPVを持つバンドの出会い。
なんか運命的なものを感じます。余談ですが、以前、a-haの結成日を軸にホロスコープをみたことがあるのですが、「最新技術との相性がよく、それで活躍の場を広げる」という性質なんですよ。まさに、ある意味ホロスコープの性質どおりに、魔法がかった組み合わせだと思います。

あの当時、MTVを揶揄している人達がいたのも当時中学~高校生ながらに存知ておりますが、MTV時代に生まれた「時代の申し子」同士が一緒に活動しているんですから、それは爆発的に広がるのは当然でしかありません。佐藤さんは「Living A Boy’s Adventure Tale」を、自分とa-haが一緒に冒険をしているかのように感じていたと仰っていましたが、実際そうだったのではないでしょうか。お互いに、前例のないことをやってのけているのだから、その通りでしかありません。以前聞いたか読んだ話ですが「Eurovisionで勝てない国」(当時)とか「スウェーデンにはABBAがいるけど、ノルウェーは?」と言われていたらしい国で、いきなり全米No1を取ってくる若者。入社2年目でいきなり販促の軸足を変えた若者。なんかその部分も映画になりそうです。

アルバムの帯とかキャッチフレーズとか

『悩殺部隊手ごわいぜ』というのは、『Hunting High and Low』の帯にあったキャッチフレーズですが、これもまた、佐藤さんが考えたものだそうです。そして、帯の裏側にあった文章も。「詩人になりたかった青年が、詩人を諦めてワーナーに入った」とのことで、『A-HA /THE PIX A-HA写真集』の「10年後の君へ」の泣かせる文章も、なるほどという感じです。

荒野さんがその帯の裏の文章を朗読されていて、佐藤さんが若干?ダメージを食らっていたようでした。(写真は、ジャケット裏の文章を朗読する荒野さんとそれを見ている佐藤さん)

意外だったのは、悩殺部隊というわりに、デビュー直後などはMusic Lifeでも見た目に関しては、それほど推されてなかったそうです。とはいえ、自分が覚えてる限り、『Hunting High and Low』の中のライナーノーツでは、「最近は若い女の子達がフィルコリンズとか、かわいいおじさんにきゃーきゃー言うようになっていたけど、やっと若い女の子達がキャーキャー言える男の子達がデビューした」みたいなことが書いてあった記憶があります。「そうなの?」と思ったので。

自分が『Take On Me』のMVを見たのは、ここの自己紹介にも書いてあるように、1985/07/04のことですが、自分目線ではあっという間に大人気になっていた気がします。きっと現場では、もっとものすごい速度で、「ノルウェーというあまり知られてない国から来た男の子たち」から「カッコイイ男子」になっていったのでしょうね。映画『a-ha THE MOVIE』でも、売れる迄の試行錯誤と共に、売れてからのすごい勢いが描かれていましたし。

荒野さんが紹介してくれた、「a-ha 6つのコンセプト」も面白かったです。そこでもルックスのことが書かれていていることについて、佐藤さんは「それは売る側が押しつけることじゃなかった」と反省されているそうです。まあ、言われてみればそうだけど…。個人的には押しつけられた感は感じたことがなかったですね。「a-ha(特にモートン)はルックス」という揶揄をされることはそれなりにあって、それはもしかしたら、そういうキャッチフレーズ的なものに起因していたのかもしれないけど、多分、ルックスのキャッチフレーズで困ったのはファンというより本人たちだと思うので…。ちなみに、当時の自分は「a-haのどこが好き?」への返答は、「モートンのルックスも好きだけど、それよりも声がいいんだよ。高音がとっても綺麗なの。あとね、高い理想に向かって努力してるところとか、インタビューの受け答えの時の、わかってもらおうとすればするほど、なんかずれてくのが好き」と答えていました(笑)。今とあんまり変わらないですね。

(個人的に)謎が解けたこと

佐藤さんが謝ってらしたもう一つに、a-ha応援団のことが。

当時、ファンがファンクラブをやりたいと申し出れば、出来てしまうという時代だったそうです。それで、a-ha応援団としてメンバー募集をしていたそうですが、やはり、ただのファンがやるのは難しかったそうで、早々に解散したそうです。そう、「a-haのファンクラブってあったよね」と思ったことはあったんです。だけど、問い合わせ先がわからなくて、それで多分ワーナーに問い合わせたか何かして結果、イギリスのワーナーがやってるファンクラブじゃない何か(多分ワーナーショップとかそういうの)にエアメールを送ったことがあったのです。それで何を買ったかまでは忘れてしまいましたが、a-haのグッズだけじゃなく、マドンナとかのグッズもあって不思議だったんですよ。でも、日本語であった気がするんだけどなーと当時思っていて、「早々に解散した」とのことで謎が解けました。

もう一つの謎は、「なんで1984年バージョンのPVは見たことがないんだろう」というものだったんです。まあ、自分は85年版の『Take On Me』から洋楽デビューしたからある意味当然といえば当然なんですけど、それでも1年前なら両方流れそうではありますよね。佐藤さんによると、1984年版は、日本では「あまり流さない方針」だったようです。佐藤さんを当時指導されていた師匠さんも、こちらは84年版の曲についてですが、あまりピンと来ていなかったのだそうです。代わりに85年版は「これだ!」となったとか。ということは、84年版はMVも曲も、(日本では)推されていなかったということなのでしょうね。一度だけ、84年版を公に見る回があったようですが、私はそんなことがあったことすら知りませんでした。

そんな84年バージョン。MVは、『a-ha THE MOVIE』でも流れた、”半裸の女性が周りで踊るで怯えた若者3人”(byマグス)のやつですが、モートンが油を体に塗っていたことから、現場では「油」と呼ばれていたそうです。油って(笑)ダンサーの様子がエンショップ武富士のCMっぽいなとは思っていましたが、油だったんですね、モートンのテカリ。

文字数が長くなってきたので、一旦ここで区切ります。a-haデビュー40周年セレブレーション<2>に続く。

投稿者: Tomoko

1985年7月4日、期末試験の直前で部活が休みだった日に、たまたまみたテレビ神奈川の「ミュートマ」で『Take On Me』を見てモートンに落ち、8月25日にアルバム発売というので誕生日プレゼントにしてもらって、モートンの声の多才さに感動。その後、タイトルを最後に言うタイプのラジオで「この声綺麗」だと思ったら「I've been losing you」で、これまたモートンだったことから、自分にとって最高の声だと確信。2010年の解散に伴い、翌年からノルウェー語を勉強しはじめ、現在はMCは聞き取れるようになりました。2022/05/20発売の『a-ha THE BOOK』で、モートンのソロについて書かせていただきました。

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