ベルゲンのいくつかの新聞で、ベルゲンフェスのa-haの様子が掲載されています。今回は『Bergens Tidende』の記事を掲載します。
元記事:a-ha 心配していた状態よりかなり良かった
以下、翻訳です。
a-ha:心配していた状態よりかなり良かった
幸いにも水曜夜のa-haのコンサートは実施された。最初のほうこそいくらか乱れはあったものの、最後にはかなりよくなっていた。それは、バンドにとっても観衆にとってもだ。
文:音楽評論家 Einar Engelstad
🖤🖤🖤🖤(評価:4/6)
かなり興奮した。なぜなら、ベルゲンフェスでのコンサート実施が発表されたからだ。
モートン・ハルケットが、ここ数ヶ月の健康問題による喉の痛みがあっても歌うということについてだけではない。喉の炎症とコロナによって、外国でもノルウェーでもコンサートがキャンセルになったという背景があったからだ。
私にとって、a-haの初めてのコンサートは1987年のベルゲンホールだった。この時、3人はノルウェーでも世界でも最大のポップバンドで、ファンの中心は30歳未満だった。35年後にa-haが存在して、満員の会場を牽引しているとは、当時私はあまり考えていなかった。a-haがベルゲンで最後に演奏したのは6年前、コーエンゲンでのコンサートで16000人の前だった。ベルゲンフスにはそこまで大きな収容人数はないが、Plenen(管理人註:今回の会場)はa-haのコンサートの前には超満員になっていた。ベルゲンフェスのプログラムは様々だが、この夜、会場の殆どがa-haを見に来たのは明らかだった。
バンドメンバー同様、a-haのファンもかなりの年齢になった。恐らく、平均年齢はモートンー今年63歳になるーほどではないだろうが、それほど変わらないだろう。
秋にはa-haは新譜を出すが、幸いなことに観衆はこの新譜からの曲に魅了されることになった。過去の遺産で生きているバンドだったら、そんな過ちはしなかっただろう。
コンサートは30歳になる『Sycamore Leaves』から始まった。モートン・ハルケットはサングラスと白いセーターという出で立ちだった。彼は最初のうちこそ喉の調子がよくなかったものの、他の危ぶまれる場所では問題なかった。最初の数分はバンドも聴衆もイマイチのることができずにいたが、3人のバックバンドや良い音もあり、望みがないわけではなかった。
3曲目のEverly Brothersの古典『Crying in the rain』から徐々によくなった。とはいえ、実際に本領を発揮したのは『Cry Wolf』だ。ここから、聴衆も一緒にリフを精一杯歌いはじめ、全体に広がったのは明らかだった。そしてここから、かなりよくなった。ハルケットの声帯が温まり、マグネ・フルホルメンとポール・ワークター=サヴォイの両名も、少しキレがよくなった。『Hunting High and Low』、『The Sun Always Shines On TV』『The Living Daylights』ではPlenen中に音が響き渡った。
しかし、a-haのコンサートはラストの『Take On Me』なしでは終われない。もうすぐ40年になるこの曲は、議論するまでもなく、ノルウェー史上最高のポップ曲のひとつだ。
なんとなくですが、ノルウェーのファン層の中心は、日本のファン層の中心より年齢高めかなと思いました。当時、30歳未満ってところが。トミーネのインスタのおかげで、モートンの様子もわかりましたが、この記事でも様子がわかって良かったです。