モートン、パーキンソン病を告白「僕を心配しないで。自分がどうありたいかを見つけることが、新しい毎日へのプロセスなんだ」

a-ha公式がモートンがパーキンソン病であることを公表しました。モートンがインタビューに答えてます。インタビューアーは、a-ha本『Swing Of Things』を書いたヤン・オムーダル氏です。

ソース:https://a-ha.com/news/morten-harket-has-parkinsons-disease
https://a-ha.com/news/morten-harket-har-parkinsons-sykdom

インタビュー記事のうち、パーキンソン病の医学的な詳細部分については、間違いがあっては困りますので、割愛しました。また、文中にある「マイケル・J・フォックスが声に支障を来し引退した」の部分ですが、Wikiによると「記憶力の低下」を理由に俳優を引退したとあります。声に…と言われると、やはりモートンのことを関連づけてしまいますが、記憶力の低下のほうが本当ならば、ここは無駄な心配をしなくても良いかと、個人的には思いました。


<<注意>>
以下のインタビューには、読んでいてとても辛い描写があります。精神的に落ち込んでしまいそうな場合、余裕がない場合は読むのを控えることをお薦めします。また、以下の文章はノルウェー語バージョンから訳したので、「オーケストラの歌姫」のところが英文では「バンドの歌手」だったりと、元の文章が微妙に異なる箇所があり、結果訳も全く同じにはならないはずです。


彼のことは、a-haの象徴ともいえるフロントマン、天賦の才能を持つシンガー、気が乗らないポップスター、ソロアーティスト、作曲家、エキセントリックな熟考者、5人の子の父親で、内孫を持つ祖父として知っているだろう。しかし、ここ数年、彼は自分の体の戦いも繰り広げているのだ。このニュースは、誰にとっても待ち望んでいないものだろう、だがしかし、:モートンはパーキンソン病なのだ

– (パーキンソン病だという)診断については何の問題もなく受け入れているんだ。94歳の父の、体が衰えていくことを受入れ、その上で「今の体で出来ることをする」という姿勢を、僕も心の支えとしている。

私たちは、彼と事実婚のInez Andersson がリフォームして住んでいるソールランののどかな居住区へと向かった。a-haのバイオグラフィ本を書いた縁で、私はモートンの状況について、a-ha.com上に寄稿することになった。モートンの状況は、これまで秘密裏にされていた。本当に近しいものだけが、彼の状況を知っていたが、公表することはどのような状況を生むか不明瞭だったため、これまで公にならなかったのだ。

– 僕の中では、公表したい気持ちもあった。さっきも言ったとおり、診断を受け入れること自体は問題なかったんだ。公表することを保留にしていたのは、仕事に波風を立てたくないという配慮から来るものだった。僕は、体の機能がダメにならないようにやれるだけのことを調べてやってきた。薬の効果と副作用のバランスを取るのは骨が折れること。本来なら、社会的な活動や日々の活動で(自然に)体を動かしていくことを真似してやっていくには、本当に沢山のことをしなくてはいけない。

(パーキンソン病の説明で、医学的なことなので割愛します。誤訳したら怖いので)

モートンはこれからの人生を、パーキンソン病と共に生きていかなくてはいけないが、米国の有名なメイヨー・クリニックでの薬物療法と高度な脳外科手術によって症状は軽減した。ノルウェーでモートンを治療している神経科医、ニューロクリニック・ノルウェーのクリスティーナ・スンダル医師は、以前はメイヨー・クリニックのパーキンソン病チームの研究員として働いていた。彼女の人脈のおかげで、モートンはメイヨー・クリニックで治療を受けることができ、症状は劇的に改善した。

2024年の6月、彼は脳外科にて左側の深部に電極を入れる手術を受けた。(医学的なことなので一部割愛)
この電力のおかげで、モートンの身体的な症状の大部分は解消した。2024年の12月には右側にも同様の手術を行い、成功した。

治療が効果的だったことは、ソールランまで運転したのがモートンだったことからも明らかだ。力強い両拳が静かにハンドルを握り、両腕は私たちが何百万枚の写真でみてきたように筋肉質だ。では何が違うのかと言えば、それは、彼の象徴である手首に巻いた革紐がないことではない。声だ。モートンの楽器である、声。それが彼が今回、公表したことだ。声の問題が、彼の創作活動の未来が不確実である理由の一つだと、彼は言う。

RIBで30ノットで島に戻る道中、彼は経験豊富で頼りになり、目は古き良き時代のように輝いて笑顔だった。これは、彼が素晴らしい道具箱を持ってきて島民が山で採掘するのを手伝っている時も同様だった。しかし、調子が良いときのモートンがよく知られているパーキンソン病の身体的な症状がみられないからといって、それは彼が回復したというわけではない。休日の間、私たちは彼が、薬や脳からの電気信号、睡眠、血糖値、そして思考の暴走を薬の副作用や身体的な症状とバランスをとろうとする戦いを一日中目撃することになった。常に上手くいくわけではなく、ジェットコースターのようにすぐに(状況が)変わるのだ。この状況は、しばしば、夜の睡眠中にも起きた。不規則な間隔でエネルギーレベルが低下し、この白い家が重苦しい静けさに包まれる。病気について話すことがストレスになるのは明らかであり、また、いつか病状を知られることを待つのもストレスだった。知られているように、ありとあらゆる形の精神的ストレスが、パーキンソン病の症状を悪化させるのだ。

– 君は、今、僕の最悪なところを見ているんだよ。

パーキンソン病は、表舞台に立つ者であり、a-haのシンガーであるモートンを厳しい状況に追い込んだ。彼の歌のスタイルには力強さと細やかな表現力と技術的なコントロールが必要とするもので、ポールとマグネはこれまでスポーツで競い合うかのように、モートンの限界を引き出す曲を書いてきた。彼らが生み出した『Take On Me』『Soundrel Days』、『Summer Moved On』そして『Stay On These Roads』の感動に胸を打たれるようなボーカルは、芸術的でもあり、身体的な力強さも見せつけるものだ。

– あなたは、声への悪影響を最小限に抑えようとしてきましたよね。でもそれは、今のあなたの声が、あなたが望むベストな声ということではないのですか?

–それは答えられないよ

– 少しでも歌うことはできませんか?

– わからない。歌う気になれないというのが、僕にとって一つのサインなんだ。コントロールできないから。僕は別に、機能的なことについては割と柔軟なんだ。別に技術的にすべて完璧になるまで待っているわけではない。課題は、僕自身のことを声で表現できるかということなんだ。今のところそんな状況だから、どうとも言えない。でも、将来に渡ってどれだけかかるかはわからないんだ。

モートンは、胸の高い位置の皮膚の下にある小さな四角形の上に手を置いた。電極つきのケーブルは肌の下を力強い血管のように這っており、首に向かって伸び、脳の深部へと向かっている。

– この装置をオンにすると、声が変化するんだ。それが関連してるのは、非常に明らかだ。ただ、僕たちはまだ、それを捉えてコントロールできるところまで至ってないんだ。声の問題は、特に、ドーパミンのサプリを投与したときに、起きる。ドーパミンを取らずにいれば、声は明るくなるけど、(抑えられていた)一般的な症状が顕著に表れてしまうんだ。

モートンは、一方で、多くの人を驚かせるであろう声を失ったことについて話したが、他のことでも、vintage ハルケットであることを再認識されるようになるだろう。彼は、一般的に考えられているであろう、彼の歌手としての役割に対し、それほど強いアイデンティティと位置づけていない。だから、声を失うということは、彼にとってとてつもなく大きな災害だとは考えていないのだ。

– 僕はあらゆることをやっているよ。でも、多くの人が僕をオーケストラの歌姫のように位置づけている。僕が自分のアイデンティティは歌手であることではないと言うとき、それは僕の直の答えだ。これは心からの言葉だ。みんなが僕のアイデンティティを歌手と結びつけるのは、自然なことだし、それは理解している。僕は歌うことを、自分の責任だと思っているし、歌えるということをとても素晴らしいと思うこともある。でも、僕は他の分野にも尽力しているし、それもまた、僕の中では同じくらいの大きさを占めていて、同じように正しく、大切なことなんだ。

サマーハウスの中と外には、モートンの芸術的で繊細な、特に細部までこだわりつつも利便性を兼ね備えた職人レベルの痕跡があらゆるところに見つけることができる。特筆すべき点は、この家が、目立たない湾と海の外側に面しており、交通量が多かったり、ボートに乗る人の好奇的な目から見つかるような場所ではないということだ。同時に両隣には隣人もいる。ポップアイドルは完全な孤独を求めているわけではないのだ。

ところで、パーキンソン病の診断を受けた著名人はどのように対処してきたのだろうか。ボクシングのレジェンドで活動家のモハメド・アリ(1924-2016)は、1996年のアトランタ五輪の聖火点灯で世界中が、彼がパーキンソン病を患っていることを目にした。国内でも、テレビ司会者のIvar Dyrhaug とGerhard Helskogがパーキンソン病であること、海外での試験的なビタミンB1 治療によって症状の緩和を試みていることを公表している。俳優のアラン・アルダ、コメディアンのビリー・コノリー、公民権活動家で牧師のジェシー・ジャクソンもパーキンソン病であり、アーティストでは、リンダ・ロンシュタット、ニール・ダイアモンド、そしてオジー・オズボーンが同様にパーキンソン病を患っている。オジー・オズボーンは、今年7月5日、ブラック・サバスのバンドメンバーと一緒にバーミンガムのヴィラ・パークで、ブラック・サバス最後のコンサートを行う予定だ。これには、メタルミュージックの大物たちも出演予定だ。

パーキンソン病の患者として、最も有名な人といえば、俳優のマイケル・J・フォックスだろう。『Back To The Future』のスターは、1998年にパーキンソン病の診断を受け、今後その状態で生きていくことを公言し、2000年には(パーキンソン病の)原因と治療方法を研究するためののための在団を立ち上げた。フォックスは、診断を受けても20年以上、俳優としてやってきていたが、次第に声に支障を来たすようになり、2020年に俳優を引退した。それでも、2024年には、a-haの友人であるColdplayとグラストンベリーフェスティバルに出演し、『Humankind』と『Fix You』でギターを演奏した。

モートンにとって、病気を公表する決断は、パーキンソン病の患者として、公の場に現れた場合に何が起きるかというのが確実だということに結び付いている。たとえば、E18号線の(EV)充電スタンドで、モートンがいたら人々はどうなるか。一人の男性が彼を認識する、そしてこうするのだ。彼はこのポップスターに、自分の来る前の前まで来て一緒に自撮りをとってくれないか尋ねる。そうなったら、モートンがすべきことは、丁寧にお断りするか、自分と相手がこの状況から抜け出せるようにすることだ。このような出会いが、終わることなく続く人生だ。それはサインに留まらず、(一緒の)自撮り、ハグ、そして丁寧にお断りするにしても。今、彼を待ち受けているのは、モートン・ハルケットであることだけの人生ではない。モートン・ハルケット、ただし、パーキンソン病を患うポップスターとしての人生なのだ。

この病気のニュースによって、間違いなく、彼のデジタルのメールボックスは、同情や、治療方法や代替療法についての善意の提案が溢れることになるだろう。彼は、こうしたものがストレスになるということを理解してほしいという。

– これから、僕がどうすべきかとか、どのように対処すべきかと言った問い合わせが沢山くることになるだろう。沢山の提案が、配達人からも世界からも来るだろうし、すべては善意から来るものだ。(パーキンソン病について)沢山の説や意見があるのは知っている。
でも、僕は、僕についてくれている専門家と行動すべきなんだ。彼等は僕のために一緒に取り組んでいてくれているし、今日における様々な分野の研究に目を光らせてくれている。他のことを、取り入れたくないんだ。

– 世界中のあなたのファンが、このニュースを重く受け止めることになるでしょうが、彼等に言うことはありますか?

– 僕のことは心配しないで。自分がどうありたいかを見つけ出して。それが新しい毎日へのプロセスだ。僕らの存在の根源である自然に対して、良き貢献者となってください。環境に対して、僕らが出来ることがあるうちに、出来ることをしてください。エネルギーや力を、現実の問題に向き合うのに使ってください。そして、僕はちゃんと見て貰っていると知っていてください。

島の外側、海に向かって開かれた場所には、小さいがはっきりとした光のきらめきがあった。それは、彼の新たな創造的な表現のドアは閉じていないということだ。モートンは私に、iPadにある新たに書き下ろした歌詞を見せてくれた。また、いくつかの関連したフレッシュなデモを聞かせてくれ、彼の声が未だ通用するものであることを見せてくれた。

– 僕はここ数年で、かなり自信のある曲があるんだ。特に歌詞は、僕の新たな側面も感じられるものだ。この曲をリリースまで出来るかどうかはわからない。時が進めばわかるだろう。でも、僕はパーキンソン病患者のアーティストとしてやってのけるという考えも好きなんだ。韻を踏むとかではなく。全ては僕次第、まず、今はこれをやるべきなんだ。

– バンドエイドを剥がす?

– そう。以前は、病気を知られることを考えることが僕を妨害していた。今は抱え込むこと自体が、僕を妨害することになるんだ。


ここまで読んだ方はお疲れさまでした。
この記事を読んだ翌日は、仕事もあまり手に着かず、ただ内心呆然としていました。
今、やっと心の整理がつきつつあるという感じです。このインタビューについての思うことは別記事にしたいと思います。個人的には、この笑顔に救われました。

投稿者: Tomoko

1985年7月4日、期末試験の直前で部活が休みだった日に、たまたまみたテレビ神奈川の「ミュートマ」で『Take On Me』を見てモートンに落ち、8月25日にアルバム発売というので誕生日プレゼントにしてもらって、モートンの声の多才さに感動。その後、タイトルを最後に言うタイプのラジオで「この声綺麗」だと思ったら「I've been losing you」で、これまたモートンだったことから、自分にとって最高の声だと確信。2010年の解散に伴い、翌年からノルウェー語を勉強しはじめ、現在はMCは聞き取れるようになりました。2022/05/20発売の『a-ha THE BOOK』で、モートンのソロについて書かせていただきました。

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