http://www.dn.no/d2/2014/04/10/Musikk/sommerfugleffekten
記事は購入していないので、リンク先のノルウェー語部分だけ。
「退屈の哲学:この惑星はとにかく素晴らしい。ワクワクすることで満ちているんだ。一方で、僕ら人間は、時として小さな退屈を感じてしまう。答えがわかっている中で進むのは簡単だ。僕はもっと「問い」に関心を持ちたい。「問い」をもって生きていたら、決して退屈はしないよ」
aftenpostenのインタビューで彼は「好奇心」について述べてます。
この「問い」も同じ直線上にある彼の哲学だと思います。
ところで、この記事自体は購入していないので読めていないのですが、現在読める箇所で面白い部分が二つあります
一つは「バタフライエフェクト」。
wikiによると、「極めて小さな差が無視できないほど大きな差を生む現象を指すための用語」で、離れた場所の蝶の羽ばたきが、遠く離れたどこかの気象に影響するというものです。
そして、バタフライといえば、言わずと知れた「バタフライ、バタフライ」。この曲はa-haの最後の曲ですが、ミュージックビデオでは、a-haのメンバーが最後、蝶となって飛んでいきました。
また、占いのカードでも「蝶」は、「変容」を表すのによく使われています。
今回、あちこちのインタビューで、「新たなスタート」を発言しているのが、この「バタフライ」という単語に綺麗に重なります。
二つ目は、「退屈哲学」。そんな言葉は聞いたことがないので、Googleで検索してみたところ(ノルウェー語で)、やたらとヒットしました。
そこで、「じゃあ、日本語でも退屈哲学ってあるのかしら?」と検索したところ、こんな本に突き当たりました。
レビューによると「ノルウェーのベストセラー」だそうです。つまり、「なぜ退屈するのか」ということについて、ノルウェーの人たちは興味津々のようです。
思うに、この手のことを語らせたら、モートンはピカイチではないでしょうか。私はこの、モートンの発言には賛成です。
一つ一つを「なぜ」「どうしたら」と思いながらやっていたら、退屈する暇なんてありません。
そして、加えて言うなら「ああ、つまんないなー」っていうときって、既に答えは出てるけどやりたくないし、かといって新しい事も無いときのような気もします。つまり、やらなくちゃいけないことに目を背けてるときとか。
とある本によると、人は刺激を好む(それが良いものでも悪いものでも)生き物だそうで、退屈すると昔の嫌な思い出をわざわざ思い出すこともあるそうです。ただ、その嫌な思い出も、ずっとみつめていたら消えていく
(解消する)そうですが。
そう考えると、やっぱりモートンは前へと進んでるのだな、と実感しますし、自分も頑張ろうって思えてきますね。