あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします。The voiceで、マグスと一緒にメンターをやっていた、ソンドレ・ラルケ氏とモートンの共同インタビューという珍しいものをみつけたので、翻訳挑戦してみました。例によって、よりよい訳になるようなら修正します。
モートンは、僕の家族にとってちょっと特別なんだ
ソンドレ・ラルケはレコード会社の代表と自分のマネージャと一緒にそこにた。
モートン・ハルケットはワーナーからのエスコートサービスに送られてきた。
僕は、レコード会社は、質の良い大人のアーティストを送り出していないと思ってたんだ。
ソンドレは、ウレボールスタジアムのエレベータの中で、モートンにそう言った。
-高齢者の問題は聞いたことがある?それはやがて、自分に返ってくることなんだ
準備は整った。ソンドレがa-haの前座として25000人収容のウレボールスタジアムで演奏するまで3ヶ月を切った。
彼にとっては、大きな一歩になる。ワールドツアーへの一歩にも。
-今はわからないよ
ちっとも大げさにならずに、ソンドレは答えた
-時間がとれるかも解らないし。
彼は既に、6月8日の準備のために大事なことを犠牲にしている
-僕はその日、結婚式をするつもりだったんだよね。落ち込んだよ
モートンは慰めようとしてこう言った
-彼らは、君が何度も結婚すると思ってるんだよ
この青二才とポップスターとしてずっとやってきた二人は、少し仲良くなった。
赤い帽子を裏返しに被っている細身のソンドレは、Adidasのアルファベッドが鏡に映っているかのようだ。
Pumaの顔モートンは、レザーコートの下は筋骨隆々だ。
モートンは、私たちがウレボールのビジネスラウンジの打ち合わせコーナーに来てすぐに、その上着を脱ぎ捨てた。
彼らは、お互いに2-3回ほど逢ったことがあった。
-僕はソンドレのことは、以前から、「次は何がいいか」ってことに嗅覚の鋭い人たちから聞いてたんだ
モートンは語った。
-だけど、僕は彼にあったことも曲を聴いたこともなかったんだ。
それで、ついに彼に会うことになったんだ。
それがスペルマン賞のときだったと思う。
ソンドレ:うん、去年ね
モートン:その時は、今よりも半分くらいの若さだったけどね。
―ですが、スペルマンのときは、あなたはバナナを食べてばかりだったと、ソンドレはラジオインタビューで答えていましたが…?
モートン:え、僕が?熱帯から帰ってきたばかりだったのは確かだけど。
僕は今は薦めないよ。色々な問題が噴出しているからね。
実際のところ、バナナを食べることについては、注意深くなってるんだ。
君がその名前を出してからね。
今晩も、僕はそれを全ケースもって帰らなくちゃ行けないんだ
―だけど、あなたはソンドレが5歳のとき、ベルゲンで初めてあったときのことは覚えてないんですね?
モートン:その件は、後になって、ソンドレが書いていたことで知ったんだ
ソンドレ:それって僕の母からじゃないかな?
モートン:彼女は、補足したんだと思う
ソンドレ:それは、ヒットアワードの時なんだ
―それじゃ、ママが「私の息子を覚えてる?」って言ったの?
ソンドレ:ううん、彼女はとっても礼儀正しい人なんだ
でも、意図はしたのかもしれない。
それ以外のことなら…モートン…、僕は挨拶する予定だったんだ
まず、父・母、それから姉たち。
ベルゲンに来なかった弁解が全くないんだよ
「モートンはやることがいっぱいあるんだよ」って、僕はママに言おうとしたけどさ
―モートンは、Fanaにあるあなたの家を訪ねる約束をしていたの?
ソンドレ:そうだよ、したはずだ
モートン:うん、僕はそう書いたね。
―ソンドレ、あなたの家族はいつもそんな感じなの?
ソンドレ:僕の家族にとってモートンは少し特別なんだ。
僕が小さかった頃、彼らは僕を通して経験したことで、a-ha関連について神秘的なつながりを感じてるんだ。
彼らにとって、モートンと逢うことはもう非現実的なものになってるけどね。
モートン:うん、彼らはどうしようもなくなってしまったんだ。僕は長年、息子さんを傷つけてきたのだから、僕を引き裂きたいと思っても仕方ないと思う
だけど、僕がちゃんとした男だってことを理解してくれたんだ。
ソンドレ・ラルケは、4歳の頃には、ビアンカ(8歳)とロッテ(15歳)の姉たちの影響でa-haとモートン・ハルケットの存在を気にかけていた。
家族でオスロからベルゲンまでドライブしたときのことだ。
8歳のソンドレは、パパにモートンが生まれたコングスベルグを通ってくれるように頼んだ。
ソンドレは、a-haと彼らの曲『Locust』(バッタという意味)に嵌まり、バッタというテーマに没頭するだけでなく、自分だけのバッタの収集までするようになった。
ソンドレは、手首に革紐を巻き皮ジャンと穴あきのズボンで学校へ通っていた。
これは1989年・90年頃の話で、この頃には小学校にそういった格好で通うのも、a-haに入れ込むのもクールではなかった。
―それは、僕らも痛いほど理解していたよ。次第に、メディアの中の自分たちのイメージを憎むようにさえなっていたたんだ。
初めてのボーイズバンドとして、見られることにね。
モートンはコメントする。
―僕はそのとき10歳だったんだけど、もっとa-haファンでいたかったんだ。
けれど、ソンドレにとって、全てが大きかった。
ついに、1995年。彼はa-haのノルウェーツアーをみることが出来たし、12歳のときにはモートンのベルゲンでのソロコンサートのあと、モートン本人に会うことが出来た。
(※これより以前のソンドレ氏のインタビューでは13歳のとき、と言われています)
この生き生きとした出会いは、再びモートンに語られることになった。
ソンドレのママは、息子がコンサートの間リラックスしていられるように同行していた。
その後、彼はモートンが階段を下りてくるのを待っていた。
30分ほどで、モートンはギャラリーのことを思いついた。
7:30だった。ラルケママは外においた車の中で待っていた。
『モートン、もう下りてきてよ!』ソンドレは叫んだ。
『僕、明日の朝8時には学校へ行かなくちゃ行けないんだ』
モートン・ハルケットは下りてきて、立ち話をした。
ソンドレはこのとき、このスーパーアイドルに対して、不名誉な侮蔑を少し批判的にしたことを覚えている。『いっつも、歌詞を忘れてるでしょ!』
『Take On Me』が世界を制覇したとき、ソンドレは3歳だった。
―『Take On Me』が世界にでたとき、『Take On Me』は3歳だったんだよ
と、モートンは語った。
―この曲は時間をかけて出来ていてね、オリジナルは1981年に考案されたんだ。
あなた様は、いつ考案されましたか、ラルケ氏?
ソンドレ:知りたくもないよ
モートン:それじゃベルゲンへ電話してみようか。
『Take On Me』の特徴的なリフは、ポール・ワークターとマグネ・フルホルメンからモートンが聞かされた最初のa-haの音楽の片鱗だった。
―僕は勿論、彼らのバンドBridgesを知ってたんだ。
だからこそ、彼らと関係をもつことにとても興味があったんだ。
僕は、ポールの両親が住んでいるManglerudに行ったときのことを覚えてるよ。
ポールの部屋は彼とマグネがよく座っていて、練習していた場所なんだけど、
マグネはキーボードの下に倒れていて、ポールはヒッピー・ギターをひっぱりだしてきて、『Take On Me』のあのリフを弾いたんだ。
モートンは、あごをもちあげた。
―ティディーディーディ ディディディディディディディ
―そこで僕は、全てが終わったとわかったんだ。僕たちをとどめるものは何もないってこともね。あとは道をいくだけだ。
しかし、モートンが自分で曲を作るようになるには10年を要した。
モートンとソンドレは、ほぼ同時期に曲作りに辿り着いたことになる。
片方は33歳で、もう片方は13歳だったが。
モートン:僕はソロアルバム『Wild Seed』のために、『Los Angels』という曲を書いたんだ。
このとき、僕は新たな扉を開いて、今までとは異なる曲作りといものに辿り着いたんだ。
ソンドレ:『Wild Seed』は僕にとて、インスパイアを与えてくれたものだったんだ。
僕は、講座でギターの弾き方を習ったんだ。
モートン:講座?
ソンドレ:そうだよ、僕は講座に通ってたんだ。あなたも試すべきだよ。
モートン:はは。そうだね。
ソンドレ:僕は座って『Wild Seed』の曲を、自分のギターで弾いてみたんだ。
そして、歌うようになった。それからメロディが来るようになったんだ。
それは、モートン・ハルケットの純粋なイミテーションに聞こえたかもしれないけどね。
ウレボールスタジアムの25000人の聴衆。
それは途方もなく多いと、ソンドレは考える。
―僕は、最近のベルゲンでのコンサートで1200人のコンサートを開いたんだ。
そんな沢山の人が僕を見に来てくれるなんて、初めての体験だった。
僕はそんなに大勢の人と通じ合うなんて、信じられないほど難しいと考えたんだ。
僕が、コンサートをとても素晴らしかったって感じられたのは、2~3日後のことだ。
そしたら、電話をもらったんだ。25000人の前で演奏することについての問い合わせのね。
ブラジルのマラカナスタジアムでは、モートンは20万人近くの人の前で演奏している。
そして、ついにソンドレは、少しではあるが参加することになったのだ。
モートンは笑顔で言った
―君は、僕らが(ファンの)行列といい関係だと言うだろう。
ファンはね、11時間も待っててくれてるんだ。11時間もだよ!
11時間もの間、僕たちが出てくるのを待っててくれてるんだ。
フェスだから、その地方の複数の前座と一緒にね。
でも、20万だよ。自分がそこにいると想像してみて。
20万人をきるくらいの人たちが1日に生まれ、死んでるんだ。
―a-haのコンサートでは何人が生まれ、死にましたか?
―そういう考えに至った人がいる可能性は高いかもね。
モートンは冷たく笑うと、より真剣になった。
―誰も死んでないよ。これはまとめてくれてる人が誇っていいことだ。
これは良い兆候だ。
たとえば、ガンズアンドローゼズの登場では、2人死亡してるよね。
そして、彼らは僕らと同じ規模のライブには至ってないんだ
―さて、アドバイスの時間です。
アーティスト、モートン・ハルケットとして、新人ソンドレ・ラルケにアドバイスをどうぞ。
―自分を心地よくしてくれることを気にかけること。
自分が正しいと考えることをやること。
正しいアドバイスには耳を傾けることが大切だ。
たとえ、どれほど自分の直感を信じていても、他の人の時間にとって何が最善かは自分には解らないからね。
―あなたは自分自身を内観するために、時間をとってきましたか?
―a-haでは、僕ら3人はみんなそうすることに時間をかけてきたよ
全てのアーティストにとって、自分が何者かということをミディアムのように理解することが、もっとも大切なことなんだ。
自分の趣味だけに夢中になってはいけないんだ。
それは、進むべき道にあたって、自分の強みを破壊することになり得るんだ。
アーティスト個人の趣味はしばしば、発展を破壊し妨害するものになるんだ。
これが、僕が今日、はっきりと主張したいことなんだ。
―ソンドレはどのように女性と取り組むべきだと思いますか?
―女性がキャーキャー騒ぐのは、いろんな場合があるけど、それもまあ、(アーティスト活動をしていておこる)ものごとの一部でしかないさ。
彼女たちは旗をふってくれる。
ここでいうアドバイスには、なんのオチもないよ。
これは、ごく自然なことなんだ。最善のアドバイスは、自分が知っているさ。
―ですが、それはかなり消耗させられますよね。
あなたには、あなたがヨーロッパを回るのをついて回る女性ファンがいますよね。
―僕は、彼女達をさけるために世界中を回っているんだよ。
だけど、僕はここでは君にカテゴリ化されたことを言うつもりはないんだ。
君はこんなに密接な女の子達はみたことがないだろう
だから、話すことは沢山あるんだ。
君が一人の男として一人の女の子に逢いたいと思うなら、
ガラスの壁を通してだけでなく、実際に見ることが必要だよ。
―では、ソンドレ、あなたからワールドツアー前のモートンへのアドバイスはありますか?
―よく食べて。飲んで。そして早寝すること。
それからバナナは適度にね。
ウレボールスタジアムでコンサートの写真
http://www.vg.no/bildespesial/spesial.php?id=919
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