モートン、ドイツのインタビューに答える

先日からドイツでも上映が始まったようですが、モートンがドイツの新聞?のインタビューに答えました。

ドイツ語なので内容が全くわかりませんが、グーグル翻訳でノル語や英語や日本語に訳しながらまとめました。(基本はドイツ語⇒ノルウェー語にして訳して、そこから日本語にしてます)。グーグル翻訳による誤訳の可能性もあるため、参考程度にですが、良いインタビューだと思いましたので共有します。前後の記事の部分は訳していません。インタビュー部分だけです。ドイツ語わかる人で、「こうかいてるけど、ここはこういう意味だよ」とわかる人がいましたらご指摘いただけると助かります。



-Mr.Harket、ドキュメンタリー『a-ha The Movie』ではバンドの歴史を10代の初期の頃から最近までを追っています。あなたは、バンドとしてツアーを続けてるんですよね?
Harket:そうですね。とても大きなツアーの真っ最中です、勿論、このパンデミックでキャンセルせざるを得ませんでしたが。僕たちは来年にも続ける予定です。

ーあなたは、バンドの同僚であるポール・ワークター=サヴォイやマグネ・フルホルメンと、この長い休止期間に連絡を取りましたか。映画では、あなたたちの関係は長いことこじれているように見えましたが。
Harket:いいや。僕らは何かが起きることがなければそう連絡しあうことはない。もう長いこと、プライベートは一緒に過ごしてないから。でも、僕はバンドとしては特別変なことではないと思ってるよ。もし君が知り合ってほぼ40年の人と一緒に働いてるとして、プライベートまで一緒にすごす必要を感じる?とにかく、コロナの前も僕らは互いに距離を取り連絡をし合わないことことのほうが常だったんだ。僕らは僕らのすべきことしていた、それぞれが歌詞を書き、ある時期になると再集合する。大げさに捉える必要はないんだよ。

友情で成り立っているわけではない

ー他のバンドでは、プライベートが不和になると解散したりします。
Harket:でも、友情はa-haの礎ではないんだよ。礎になっているのは音楽なんだ。これまでもずっとね。

ーそれでは、あなたは自分を(彼らの)友人とはみなしてないんですね、では同僚ってことでしょうか。
Harket:ようするに、役割なんてものはないんだよ。つまり、僕ら3人にあるのは、僕らは僕らが一緒に成し遂げたものに誇りを持っているということ。はっきり確信をもっていうけど、この僕らの主張は3人とも決して陰ることはないんだ。もし明日全てが終わっても、僕たちは満足して戻り、僕たちの名前が常に一緒にあることを喜ばしいと思うだろう。何があってもね。

ーこれまでずっとそういう視点でいたのですか?それとも、長い休止の間にはもう終わったと思ったりした瞬間は何度もあったのでしょうか。
Harket:離れることはいつだって重要で必要なことだった。それは別にコミュニケーションが何度か不可能になったからというだけではない。僕たちが他の夢を叶えるための時間や余裕のためにも必要だったんだ。若い頃ですら、僕は自分の考え全てを成し遂げる時間が永遠にあるなんて幻想は持たなかった。でも、僕は、a-ha関連のやるべきことが周りにあると他のことに集中できないってことにも気づいたんだ。だから、その部分をa-haが一瞬存在しないときにやっていた。でも、「もうa-haはごめんだ!」と考えたことはないよ。

ー(復活の)第一歩はいつもあなただったのでしょうか?どうやって再度集まっていたのですか?
Harket:特定のパターンはないね。マグネが連絡してきたときもあれば、ポールが連絡してきたときもあったよ。その場合は殆どが新曲ができたっていう連絡だった。僕は実際には、バンドのというより自分のソロ曲を書いていたし、自分のことをしていたんだ。a-haの3つの方向性の動きの中で、僕はいつもすこしだけ部外者だったんだ。

ー逆説的にも聞こえますが、あなたもリードシンガーとして登場人物ではないですか!
Harket:でも、他の二人は思春期よりも前からの知り合いなんだよ。彼らは僕と出会う何年も前から一緒に歌を作っていた。a-haを結成したときも、僕は彼ら二人に比べるとたいしたことのない立ち位置だった。ポールとマグネにある力学は、いつうも僕と彼らとの間にあるそれとは異なっていた。あるときは、それが僕を敵とし、あるときは僕を仲介者や和解させる立場のものにした。対立は、何年も通して形を変えてきた。

ーどうやって?
Harket: 少なくとも、曲作りに関する対立については、ポールもマグネも大人の対応をしている。この件はとても感情的なものとして続いているけど、彼らはどうすべきか、最低限どう距離をとればいいかわかっている。今は、二人とも感情的な距離をベースに関係を築くことで、不合理で感情が暴走するような事態を避けている。

ードキュメンタリーは、これまで明らかになっていなかったことを隠していません。どうしてあなた方は、これまで全てを一端脇において活動してこなかったんですか。
Harket:それが出来るのはボクシングのリングの中だけ。それは僕らがするようなことではないよ。

ー20代半ばで突然、メディアの注目を浴び、ヒステリックなファンもついてきました。よく穴に落ちずに済みましたね?
Harket:それはとても大変だったよ。こういったシチュエーションに陥った人なんて殆どいないから、理解出来る人も一握りしかいなかったし。とても疲れることだし、その疲れが常に効いてくるんだ。ものすごく嫌な感じの時もTVのスタジオにいかなくちゃいけない。熱があっても舞台に立つし、数日全く寝てなくても録音スタジオに行かなくてはいけない。時差のこともあった、ドイツで契約したばかりでも、その翌日は日本だったりとか。同時にそれは、似たようなことの一部であるのは明確だったし、僕は優先度の低いことはできなかった。僕たちがアマチュアバンドではなく、トップに立ちたいと願ったからこそだけど。プロとしては、最悪のときにでも如何に良い状態でいられるかというのを評価されるものだ。それは僕や僕の感情がどうあれ、バンドとしてね。

有名人であるということを常に気に掛けていた

音楽のバイオグラフィーの中には、有名になり成功したことで、麻薬中毒やそれ以外の破壊的行為に至るという事例が十分にあります。見たところ、そうした事では無事だったようですが、どうやってこの時期を(そういった誘惑に負けずに)打ち勝ったのでしょうか。
Harket:有名になるということを気に掛けていたことが助けになった。それで多幸感を得られるわけでもインスピレーションを得られるわけでも、モチベーションを得られるわけでもない。僕は、常に如何にメディアで有名でいられつづけるかということを続けていたし、それに値することができていた。そのことが、感情的な痛みになることもなかった。それは、音楽ビジネスの力学と同じことだ。僕はそれがどのように効果的か知っていた、僕自身を素晴らしい状態にはしなかったけど。僕が常に興味あったのは、エキサイティングな人達、それぞれとの出会いだった。アーティストとしては、音楽が如何に影響を与えることが可能かという知識に駆り立てられていました。理想的には、これが僕自身や他の人にとって何を意味するのか。これが僕がこのサーカスをやり、未だに続けている理由さ。


あたり前のことをあたり前に言えるモートンカッコイイ。何がいいって、『 僕ら3人にあるのは、僕らは僕らが一緒に成し遂げたものに誇りを持っているということ。はっきり確信をもっていうけど、この僕らの主張は3人とも決して陰ることはない 』ってとこですよ。大げさに考えすぎる必要もないといっていて、映画をみて3人の仲を心配しすぎるファンに、映画は映画だからねーとフォローしてるように私は感じました。

あと、如何に音楽が他の人に影響を与えるかですが…、私はモートンの存在も曲も歌声も、全部影響受けまくってるので良い被検体かも(笑)。モートンが好きでノルウェー語のある大学に行ったし(他の学科なので、タイミング合わず授業受けられなかったけど)、今はノルウェー語勉強してますしね。
サーカスっていうのは、土曜サーカスから来てるのか、それともモートンなりの比喩なのか。まあ、どっちでもいいけど。ふと、Lindmoのインタビューも思い出しました。本当に、私の好きな人はカッコイイし素晴らしい人だなと改めて思いました。

ノルウェー語でもインタビューに答えてほしいとこですけど、これまでノルウェーの新聞ではa-haの3人の仲についてモートンに再三質問していて、モートンは真面目に答えてきては適当な扱いをされてきた(ように私には読めました)ので、ノルウェーの新聞には載らないのかなと思ったりしました。

投稿者: Tomoko

1985年7月4日、期末試験の直前で部活が休みだった日に、たまたまみたテレビ神奈川の「ミュートマ」で『Take On Me』を見てモートンに落ち、8月25日にアルバム発売というので誕生日プレゼントにしてもらって、モートンの声の多才さに感動。その後、タイトルを最後に言うタイプのラジオで「この声綺麗」だと思ったら「I've been losing you」で、これまたモートンだったことから、自分にとって最高の声だと確信。2010年の解散に伴い、翌年からノルウェー語を勉強しはじめ、現在はMCは聞き取れるようになりました。2022/05/20発売の『a-ha THE BOOK』で、モートンのソロについて書かせていただきました。

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