モートン、イギリス版BIG ISSUEでインタビューに答える

イギリス版の『BIG ISSUE』にて、モートンが「若かりし自分への手紙」というコーナーで、インタビューに答えました。『BIG ISSUE』といえば、日本でも販売されていますが、調べたところ、『BIG ISSUE』は、各国で内容が異なるそうです。なので、日本の販売者および、Webからの入手は残念ながら出来ないようです。こちらの『Q,海外のビッグイシューは買えますか。』をご覧ください。以下、インタビュー部分の翻訳挑戦です。自分で訳して自信のないところをDeepLとかGoogle翻訳みたりとかで、色々使ってやりました。


16歳のとき、僕は自然界というものに完全にとらわれてしまった。僕は、熱帯雨林や珊瑚礁、蘭、昆虫、そして爬虫類にある程度深く、恋に落ちていたんだ。思うに、僕には自然界に寄り添える才能と魅了される性質を強く持っていたんだと思う。覚えてる限りずっと、僕は魅了され続けてきたんだ。はじめて感じた高揚感は、発見から来るものだった。僕はまだ2-3歳くらいで、僕が殆ど隠れるような背の高い草が生えている、急な丘の斜面を歩いていたんだ。僕は歩みを止めて、そして、自分がデイジーの真ん中でとてつもなく綺麗なものを見ていることに気がついたんだ。もしかしたら、(デイジーではなく)野生のパンジーだったかもしれないけど。

僕は音楽にも恋に落ちていて、16のときにはレッド・ツェッペリンや、デビッド・ボウイ、そしてジミー・ヘンドリクス(の音楽)に恋をした。僕は、彼に完全に圧倒された。僕は初めて『Hey Joe』を聞いてからは、どんな曲もかけなった。ただ一度の『Hey Joe』を聞いた後には。何ヶ月も音楽を聴かなかったんだ。僕はただ呆然としていた。音楽はそれほどまでに強い影響力がある。でも、もし、音楽が死んでしまったら・音楽というものがなくなってしまったら、全く逆のことも起こりえるんだ。

僕は長いこと、頭の中がティーンエイジャーから変わらなかった。だから、30歳まで大人になれなかった。これは音楽ビジネスのせいではないんだ、僕は一度も音楽業界に影響を受けたことはないから。これはただただ、僕の夢見がちな頭のせいなんだ。若い頃の僕に何を語りたいかって?そのままの道で良いっていうかな。全く違うように出来るかわからないからね。

16歳の頃、僕の音楽に対する自信は小さくはなかった。
でも、僕には自分の信じているものに力を尽くす必要があった。僕らは満たされるためには、自分が役に立っているという感覚を感じられることが必要だ。そうでなければ、内側から腐っていってしまう。僕が初めて、二人(a-haの同僚となるポールとマグネ)が演奏しているのをみたときが重要なポイントだった。それは僕がずっと待ち望んでいたものだった。
僕はその瞬間が、僕ら3人がすべきことをするために突如として現れた道だということがわかったんだ。なぜなら、僕はその音楽に完全に圧倒されてしまったからだ。「これだ」というのがわかった。彼らはただ僕を必要としていた。それはまるで予見したかのようだった。

マグネと僕は夜中、長い道のりを一緒に歩いていた、道すがら良い感じに話をしながらね。でも突然あることが起きて、彼は打ちのめされてしまった。(彼等は、子供の頃、モートンがマグネの父の事故を目的したことに気づいたのだ)その後、彼はもう僕には会えないと感じた。それが即座の反応だった。僕はそれを感じ取り、でも、他のことも信じていた。数日後、彼は僕の元へと戻ってきた。僕は電話が鳴るのを座ったまま待っていることが出来なかった。知ってたんだ、何が起きるのか。そして、それはその通りとなった。マグネだった。彼は僕に彼らがイギリスにいくのについてこないかって聞いてきたんだ。

彼らが僕にバンドの参加を打診してきたとき、彼らは僕の音楽的な部分は全く知らなかったんだ。魅力的だよね?ポールは彼自身をリードシンガーとみなしていたが、僕はそれで別によかった。彼は僕をドラムにと…ドラムが出来るかどうか知らなかったけど、そう思っていたようだ。それも別に僕はそれでよかった。でも、最終的には僕がボーカルになるってことは、僕にはわかっていたんだ。それが自然の成り行きだから。

ロンドンへの移住は最高だった。お金は殆どなかったけど、とても楽しかった。僕らは放浪者のようにロンドンの町を長い時間行ったり来たり歩き回った。フォレストヒルに住み、カムデンパレスや、他のクラブなんかにも行った。ヒッポドロームは新しかったけど、ただのディスコで見かけ倒しだった。カムデンパレスや他の小さいクラブにあるような、ソウルやスピリットがなかった。僕はカムデンで、スティーブ・ストレンジにあって写真を撮られたんだ。とても沢山ね。僕たちは見た目で遊んでいて(註:モートン髪をペンキで染めていた)、パパラッチは沢山の写真を撮ったんだ。とても面白かった、だって僕は彼等(パパラッチ)が僕が誰だかわかってないって知ってたからね。誰もね。

ビゴ・ボンディによる写真(ペンキ髪モートン)

僕には、いずれこれが自分の身にも起きるとわかっていた。それは、自信というより、知識だった。夢ではない。希望でもない。もっと現実的なことだ。そして、自分ができる最善の方法で対処しなければいけないこともわかっていた。アメリカでNo.1を取ったとき、みんなが僕らを祝ってくれた。僕らは成し遂げたんだ。でも僕らにとっては、まだ始まったばかりの感覚だったのをはっきり覚えている。「これから始まるんだ」という感覚だ。僕は、3人のポテンシャルとバンドのスピリットを知っていたからね。

名声はどんな人間にも巨大な力で襲いかかってくるものだ。動物が動物園の檻に入れられるときに感じるようなことと大きく違わない。だから僕は自分の名声との関係を煩わしいものだと表現している。社会はもう君に寄り添ってはくれない。でも、社会には属しているんだ。(名声を得た人は)即座に物になるんだ。たとえ、誰かと直接話している時でも、だ。それは自分で決められることではない。大衆心理次第なんだ。

a-haが成し遂げたことは、前例のないことだったんだ。ノルウェーから来た人がこうしたことを成し遂げるなんてことは全く考えられないことだった。でも、僕らには僕らがそれを変えるってことがわかっていた。僕たちが知らなかったのは、それがマインドセットだというものだということだった。基本的に、君がどこ出身であろうと関係ない。君が誰かということなんだ。或いは君がどうあるべきかということだ。世界のどこ出身であれ、君が人々の魂や心に触れたのなら、それで君は彼等に語りかけていることになるんだ。

重要なことは、君が何を残すかとういことだ。それが音楽だ。歌だ。成功とか、賞賛とか、批判的な反応とか、そんなものは一過性のものだ。だからバンドとしてやってきたことが全てなんだ。a-haがユニットとして成立した頃のような立ち位置に戻ることは、年を経るごとに難しくなっていく。なぜなら僕らはそれぞれ異なる生活をしているから、自然とそうなるんだ。一緒に小さな小屋に住んで、世界を相手に戦った頃とは違うんだ。

若い頃の自分に伝えるなら、自分自身にもっと耳を傾けることだね。自分の心の中にある本当のことにこれまでやってきた以上に耳を傾けるようにと。僕は他の人がしてほしいことや、必要だと思っていることを拾いがちで、そうすると周りの声が自分自身の声より大きくなってしまうんだ。その結果、より多くの時間とエネルギーを費やしてしまうんだ。

もし、誰かと最後の会話が出来るなら、それは僕の母とだね。単純な理由としては、彼女がもうこの世にいないからなんだ。僕は、これは誰もが経験することだと思う。もし、(亡くなった人達と)もう一度話せるとしたら、誰もがもっと時間を作ろうとするだろう。母は、僕がかつて感じていたよりも、もっと大きな影響を僕に与えてきたんだ。でも、僕は自分の両親といられて、とてもとても幸運だった。どれほど大事か気づくのは人生の後半になってからなんだよね。

僕は政治的だけど、言い争いには興味ないんだ。僕らは自分自身にエネルギーを使いすぎて、自分の場所をきちんと見る事ができないんだ。僕らは自分たちの外側のことに、もっと焦点をあてる必要があるんだ。この世界、惑星にあるあらゆる命の表情に敬意を持つ必要がある。それは、素晴らしいもので、僕らがデザインしたものではないんだ。35年前、僕は電気自動車のキャンペーンをした。それは、僕らが辿っている道の愚かな行いについての反応だった。これは、環境汚染や、環境に対する自分たちの行いを注視してる人達からしたら明白なことだった。そして、それは私たちの為のものでもあった。なぜって、環境もまた僕たち自身であるからだ。なぜなら、僕らは同じ物だから。僕たちはみな繋がっていて、一つの生命体の一部でもある。そして、それを自分たちで壊してるんだ。

若い頃の僕と、今の僕がフォーカスしているものは、ほぼ同じものだ。名声のためでも、お金の為でもなく。僕は自らがそうあるべきことに尽力したいんだ。それに付随する全てのことも対応しなくてはいけないし、出来る時は楽しめばいい。それは敬意を表してすべきことだから。時として僕は自分自信に楽しむことも許可しないといけないんだ。


文途中の動画と画像は勝手にいれたものです。

いいですね、モートン。このインタビューを読みながら何度「カッコイイ-」と呟いたことか。モートンの発言がモートン節炸裂しすぎてて、わからないって人がいるのもわかるけど、なんかわかるという謎状態に。「若い頃の自分に伝えるなら」の部分、「わかるわー」となりました。「こういって欲しいんだろうな」とか「こうして欲しいんだろうな」というのを先読みしたり、こう言われたらこう返そうと考えたり、周りのことを気にして注意を払いすぎてると、自分が疎かになりがち。だから、以前モートンがLindmoで言っていた、「何かが悪い方向に向かおうとするとそれを止めようとしていたけどやめた」というのすごくわかるんです。

仕事でもなんでも、周りの事に気を回して動いていると、それに胡座をかかれることもあるし、なんかやってもらってあたり前みたいな図に載られることも多くなりますよね。急な作業を当然のように振られて自分の楽しみのための時間が奪われるとか。
結局(使わなくてよかった)エネルギーも使うし時間もかかるし…。でも、多分、その時使ったエネルギーって無駄にはなってないような気もするんですよね。すごーく遠回りして時間をかけて、大きくなって自分のところに戻ってくるような。まあ、裏切られたとかそういうパターンはまた別で、こっちが忘れた(手放した)頃に利子をつけて相手に跳ね返ってる気はしますね。ああ、話がそれました。だから何ってわけじゃないけど、自分を蔑ろにしてまで奉仕する必要はないけど、モートンの言うように人は役に立つという実感が必要な生き物だから、自分を大切にすることと両立できたら、自分のところに戻ってきたときに疲れ果てて受け取れないみたいなことはないように思います。って、私の言葉も相当抽象的ですね、すみません。

「君がその人の魂や心に触れることができたのなら、語りかけていることと同じ」(意訳・間違ってたらすみません)も、なんか良いなあと思いました。つまりですよ、モートンの歌詞や言葉が心に染みるなら、モートンと会話してるも同じということです。確かに感覚的にはその通りだなと。
そんなわけで、個人的にとっても語りかけてる感を感じる曲で締めたいと思います。

投稿者: Tomoko

1985年7月4日、期末試験の直前で部活が休みだった日に、たまたまみたテレビ神奈川の「ミュートマ」で『Take On Me』を見てモートンに落ち、8月25日にアルバム発売というので誕生日プレゼントにしてもらって、モートンの声の多才さに感動。その後、タイトルを最後に言うタイプのラジオで「この声綺麗」だと思ったら「I've been losing you」で、これまたモートンだったことから、自分にとって最高の声だと確信。2010年の解散に伴い、翌年からノルウェー語を勉強しはじめ、現在はMCは聞き取れるようになりました。2022/05/20発売の『a-ha THE BOOK』で、モートンのソロについて書かせていただきました。

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