Dagbladet有料版のモートンお誕生日記事です。長いです。話も途中で切り替わる上、二日間もかけて行われたので…。当サイトでは、無理なく数回に分けて掲載します。そして、元記事のタイトルは「ショッキングな詳細」ですが、当サイトでのタイトルは私が記事にあってるかなと思うのを勝手につけさせていただきました。初回は、年を取ること・そして宇宙、物作りについてモートンが語っている部分からスタートです。最初の方の若干難しい話が、曲作りの話に繋がっていてびっくりしました。
– 63歳になったことについて、どう思いますか?
グランドホテルで、半分横に半分座っているような体勢でソファに座るモートンは、まるで、その場に突然現れたかのような出で立ちだった。テーブルの上には、フルーツ、チョコレート、高級なシングルモルトウイスキー、複数の本とブルーのFarrisでいっぱいのシャンペンクーラーで溢れている。ベッドは乱れていて、髪もボサボサだった。ウールの上着はほつれていた。彼はまるで、誰かによって皺を追加し、髪を後ろにひっぱってメイクされた彼の姿の一つのように見えた。
– 今日は誕生日ですよね?
―僕は、そのことについては何も思うことはないんだ、ただそれ(年を取るということ)だけ。とはいえ、よく知られてるように、年を重ねるほど、一年が早くなっていくよね。
– それでも、一年は一年でしかないと?
―そう。でも、僕らの現実認識の大部分は個人的なものだ。それが僕らの持つ認識というものだけど、時間自体は、宇宙の法則から外れることはないんだ。
太陽の光が、分厚いカーテンの隙間から漏れて、モートンの顔にフラッシュのようにあたる。彼は窓際へと歩いて行き、隙間を塞ぐ。彼は光があまり得意でないことがわかる。
―宇宙、そうだ。 彼は、そう言って再びソファーに腰を下ろす。
彼は青いFarrisのコルクを外し、思慮深く瓶から飲む。
―僕たちは内側からしか見つけられない世界に自分を定義づける。外側にはないものだ。 それは何もないところから生まれ、時間という3次元にとって必須なものをもって、この3次元の世界に爆発し、一体化したものだ。
– そうなんですか
―もちろん。時間と空間は切っても切れない関係にある。空間を消すことは、時間を消すことでもある。宇宙は、全てを内側にもつ「無」から生まれたものだ。時間といえば、二つの興味深い「存在しないもの」があるんだ。ひとつは「今」という瞬間だ。時間は動いていて決して止まるものではないから、「今この瞬間」というのは存在しないんだ。
– もう一つの見つからないものとは?
―無限.
– 宇宙は無限でしょう?
―いいや。宇宙は終わりがあるが、拡張し続けてもいる。
彼は部屋の中で、答えを求めているように見えた
―そして、奇妙なのは、内側の全て、ここにある全てが何かであり、何かでないものは、何もないということです。「何もない場所」は指し示せないし、「内もない状態(無)」はここ、内側には存在しない、「無」というものは、アイディアとしてでしか存在しないということなんだ。
ハルケットは腕を投げ出す。
―だからね、全てはここにあり、加えて、何かであることも、他の何かであることもできるんだ。二つは同じものではない。同時に、すべてのものがみんな一緒に無、つまり存在しないものから生じているんだ。
– それを考えると頭がおかしくなりますかね?
モートンは目を細めて笑った。
―実際、ちょっと興奮するよね。
モートン・ハルケットや、a-haの名前で思い浮かぶものといえば、ファルセット、シンセサイザー、女子の黄色い声、そしてもちろん、ノルウェー史上初めてアメリカのビルボードヒットチャートのトップにのぼりつめた『Take On Me』のイントロだろう。
ハルケット自身は、1985年の『Take On Me』のブレイクよりも、a-haが何千人もの人相手に演奏をし続けていることのほうが、素晴らしい実績だと考えている。
―そう。でも、話題にはならないんだよね、勢いがないから。そこに何かしらのニュースがあるわけじゃないから。君たちメディアが僕らのツアーを初めて話題にしたのは僕が咽頭炎になったときだ、つまり何かが起きたからこそだよね。
– そうですね。実際、喉に何があったんですか?
―全体的に無関係だよね。でも、質問の意図は理解してる。メディアがどういう風に動いてるか、僕にはわかるから。
– というと?
―メディアは、アンバランスをネタにして稼いでるんだ。調和ではなくてね。それは、まるで通貨市場のようだ。たとえば、ドルに投機した場合、相場が安定していれば利益もでない。何かしら手にするのは、値が上下したときだけだ。
a-haは喧嘩と仲直り、解散と集結を繰り返している。今、彼等は11枚目のスタジオアルバム『True North』で戻ってきた。
結果は、明確な環境に対するメッセージを持つ調和の取れた曲の集合だった。
– 喧嘩するには年を取り過ぎましたか。
―僕はその表現は使わないんだ、僕らが共に持っているものは、物作りの溶鉱炉の中にあるようなものだ。当然、(溶鉱炉の)中は熱いけど、どれほど熱くなっても、僕たちの間には深いリスペクトがあるんだ。
彼はほつれたウールの上着の袖をまくった。
―僕たち人間は、何もないところや未知のものから目に見えるものを作ることもできる。僕たちが曲のアイディアやビジョンを得ると、存在しないものが存在するものになるんだ、測定不可能な時間をかけてね。僕が興味を持つ何かがそこにあるんだ。
市役所の鐘が遠くで鳴り響く。ハルケットは熟考して頷いた。
― レナード・コーエンや、ニール・ヤング、他複数の芸術家が同じ事を言っているよ。作るのではなくて、君のところにやってくるんだ、君がすべきことは身を小さくして(=謙虚な態度で)、ただ黙ってそれを一瞬で捕まえることだ。それはいつでもどこでも起こり得るもので、全ては君が受け取るのに適した場所にあるか、実際に捕まえられるかにかかっている。来たとき同様、あっという間に消えてしまうからね。
– 一種の啓示のようなものですか。
―それか、或いはちょっと違った似たようなものか。僕はこの才能は誰もが持っていると思うけど、それをクリエイティブなものとするには、”やる”自信、信じる勇気が必要だ。もし君がヒット曲を探すなら、どんな小さい曲にも意識的でなければいけない。その上で、映画に行ったり、海に潜ったり、何か他のことをするんだ、もう準備は出来ているのだから。そうすると、来るべき時に来るんだよ。
– 映画の途中で啓示が起きたらどうするんです?
―そうだね、そしたらトイレツアーに行かないといけないかも。
溶鉱炉というのは言い得て妙だと思いました。モートンの例え話は度々、わかりにくいと揶揄されますが、今回の「通貨市場」と「溶鉱炉」の例えは非常にわかりやすかったように思います。
互いに素材を持ち寄って、熱い議論をして、一つのものにしていく。この喩え。モートンでなく、マグネが言うなら「職業柄だな」と思うと思いますが、モートンが使うところがツボです。作る上で熱くなるのは当然であって、それなしには作れないというところでしょうか。
モートンは何かにつけて、メンバー同士が互いにリスペクトしていることを伝えてくれますね。そんなところも大好きです。
それともう一つ。
もし君がヒット曲を探すなら、どんな小さい曲にも意識的でなければいけない。その上で、映画に行ったり、海に潜ったり、何か他のことをするんだ、もう準備は出来ているのだから。
この部分、補足すると、小さい曲というのは恐らく、曲の片鱗とかそういったものであったり、曲そのものだったりするのだと思います。小さな片鱗でも見逃さずにつかまえたら、或いは大切にしていたら、それがヒット曲になるチャンスが巡ってきたり、曲の一部から曲全体になったりするということなのだと思います。
また、「準備はできているのだから」のところは、直訳では「もう、注文しているから」になります。昔読んだ「宇宙に願いを叶えて貰う」系の本にも、本当にそっくりな文脈があり、100パーセント自分だけで出来ることはないから、ある程度のことはしたら、それが軌道に乗るのを待つというのがありました。ちょっと近いかもしれません。こうした、彼なりのビジネス哲学(成功を信じて勇気をもって動く)はこれまでもインタビューで答えられています。
【翻訳挑戦】Massiv -僕はスターだ。以上。
『The Voice』:まずはやってみること、自分の中にある種を外に出すことが大事byモートン
今回はここまで。これでもまだ、Dagbladetのお誕生日記事の1/3程度…。続きはまた後日。