a-ha再結成インタビュー(1)

有料版Dagbladetの記事の翻訳です。長いので3つか4つに分かれると思います。
まずはモートンパートのみ。
ちなみに、下のタイトル「僕はa-haは過ぎ去った人生の一つの章だと思い、そう願っていた。でも、気持ちはかわってもいいんだ」は、マグスの言葉で、「僕は(a-haは)終わったって言ったけど、それは間違いだった。」と続きます。タイトルもそこまで続ければいいのに(感想)
http://www.dagbladet.no/2015/03/21/magasinet/pluss/reportasjen/hovedsaken/aha/38277637/

なお、このインタビューアーは、a-haのバイオグラフィ本『The Swing Of Things』の著者であり、Sondre Lerche氏とa-haについてのトークイベントを行ったJan Omdahl氏です。

僕はa-haは過ぎ去った人生の一つの章だと思い、そう願っていた。でも、気持ちはかわってもいいんだ

最大のポップバンドがカムバックについて話した。

よく知られた美しい声が、ストックホルム・ゼーデルマルムにあるブルンスタジオの小さなコントロール室に響く。
作曲家であり、プロデューサーであるピーター・クヴィントのスタジオは、モダンな電子機器や年代物の楽器で、かなりのカオス状態だ。

a-haとしての曲

クヴィントは今まで、The Ark やブリトニー・スピアーズやヘザー・ノヴァ 、そして、モートン・ハルケットと仕事をしてきた。
たとえばあの『Brother』でも彼は演奏している。この2010年のa-ha解散後2枚目のソロアルバムでは彼はアルバムの作成および作曲をクヴィントと共に行っている。
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新たな役割:2010年のa-haの解散後、モートンはソロアルバムをリリースし、ツアーも行った。この経験は、再結成後のバンドの物作りのプロセスにおいて、より重みのある新たな役割を彼に与えることになったと、彼そしてバンドのメンバーの双方が語っている。これは、ストックホルムのブルンスタジオで、a-haの新曲に取り組んでいるときの写真だ。 写真:クリスチャン・オーシュルンド

 

今、二人は新たな曲をつくっているが、それはハルケットのソロではない。
曲はそれ以上の…そう、a-haの曲だ

僕の傍らで、ボーカリスト自身が満足げな笑みを浮かべて立っている。
少しして、ハルケットのボーカルが他の声に変わった。マグネ・フルホルメンの声だ。
『Mythomania』はa-haのキーボードプレイヤーからの新しい曲だ。モートンはまだ、マグネのボーカル全てを置き換えてないのだ。

ボーカル、シンセ、ギター

音の全体像は、シンセ―をベースにどこかNew Orderを彷彿させる。しかし、ボーカル、シンセ、ギターからなるa-haのよく知られた三位一体のスタイルによって、a-haらしい曲となっている。
まさしく私たちが聞いているのはa-haの新曲であり、他の曲も同様だ。

ところですみませんが、a-haは解散したんじゃなかったっけ?

既に知られているように、ポール、モートン、そしてマグネは、9月のRock in Rioの30周年に参加できることに謝意を述べている。1991年、バンドはこのフェスで演奏し、195000人の動員はギネスに掲載された。Rock in Rion同様、a-haが1985年に『Take on me』でビルボードの1位になってからの素晴らしい30周年でもあるのだ。
とはいえ、Rioはきっとa-haのユニークな歴史のに残る壮大なお祝いになるだろう。私たちの多くが予想している通りに。

ノルウェー史上、最大で最も重要なポップバンドが帰ってきた。Magasinetは、彼ら3人が、新たなa-haとしての活動を2年契約したことを伝えなくてはならない。

古き良き日々が戻ってくる

まもなく、バンドメンバーもしくはマネージャーのHarald Wiikが具外的な計画についてコメントするであろうことが期待されている。しかし、この古き良き日々、記念すべき日について話すには、時間が足りない。

こんなことが起きるなんて意図してなかった。2010年の12月4日、『Take On Me』の最後の音が響いたとき、a-haはバンドとしての存在を終えた。悲しいけど、同時に嬉しいことでもあった、そしてポップカルチャーの自然の法則に完全に調和していた。
ポップバンドは永遠ではいられない。ファイナルツアーは、凱旋ツアーだった。

最後のアルバム『Foot Of The mountain』は、価値のあるピリオドだった。だが、同時に、本質的には、この作品が彼らの最後になるというどこかもの悲しいものではなかった。

当時の、ノルウェーのバンドに対して殆どの人が考えていた限界をやぶり、9枚のアルバムと素晴らしい曲の数々をリリース、25年間の第一線での活躍と、センセーショナルなキャリア、そしてバンド内でのよく知られた摩擦を経て、a-haは活動を終えた。
モートンはそのことについて、これっぽっちも後悔していない。

「それは素晴らしく自由だったし、素晴らしい価値のあることだった。僕はポールとマグネと一緒にトップに上り詰めた後、考え得る最善の方法で一歩を踏み出せたことを素晴らしいことだったと思う。解散はごく自然のことだったし、良い方向に働いた。僕たちは「冬眠」していたわけではないんだ。本当に解散していたんだよ。
少なくとも僕にとっては、これは精神的にとても大切なことだった」

スタジオの隅で、シーザーサラダと紅茶ごしに、a-haのボーカリストは、最後の挨拶からたった4年ちょっとでのa-haの驚くべき新たなスタートについて話をした。

それは、ポールがモートンの声で数曲試してみようとしたことから始まった

「ポールが書いたものを聞くのはいつだって興味深かった。舞台裏でこっそり再結成していたわけではなく、ただ単に彼の曲と僕のボーカルだけがあったってことなんだ。
アイディアはシンプルだ。僕たちは単に曲のストックをつくろうと思ったんだ。その曲をあちこちで使えるとわかったんだ。
彼が作った曲に「Yes」と言わない理由を探すほうが難しいよ」

結果は、音楽の素材を貯める以上のことになった。a-haでもう一度やるほうが正しく感じる理由について少し考えた後、ボーカリストはシンプルな答えに辿り着いた。

やりたいから

「僕たちはやるかどうか延々と悩んでいることもできたけど、答えは簡単だ。つまり、僕はやりたいってこと。」

投稿者: Tomoko

1985年7月4日、期末試験の直前で部活が休みだった日に、たまたまみたテレビ神奈川の「ミュートマ」で『Take On Me』を見てモートンに落ち、8月25日にアルバム発売というので誕生日プレゼントにしてもらって、モートンの声の多才さに感動。その後、タイトルを最後に言うタイプのラジオで「この声綺麗」だと思ったら「I've been losing you」で、これまたモートンだったことから、自分にとって最高の声だと確信。2010年の解散に伴い、翌年からノルウェー語を勉強しはじめ、現在はMCは聞き取れるようになりました。2022/05/20発売の『a-ha THE BOOK』で、モートンのソロについて書かせていただきました。