Mann uten band
元記事:
http://www.aftenposten.no/kultur/musikk/Mann-uten-band-6804302.html#.T5tpXMVSb5B
http://www.morten-harket.jp/?p=655 の続きです。
”Morten ,Morten,Morten”
私たちが、その場を離れようとしたときは、もう夜中になっていた。
ずっとみていた2人の女性が、彼が暇になった途端、彼のもとへと寄ってきた。
ハルケットはそれぞれをぎゅっと抱きしめた後、移動してベッドに横たわった。
翌日は、メイクアップ係のUte Methaにメイクされるところから始まった。
「なんて素晴らしい仕事なのかしら」Methaは言った
80年代半ば、彼女の部屋の壁にはハルケットのポスターがあったのだ。
その日の残りの時間、彼女は手にコフレをもって、彼の後についていった。
我々がレセプションを出ると、10-12人の女性がエレベータのところで立って待っていた。
彼女達はアーティストを取り囲んで、コッカースパニエルのように呼んだ
「モートン、モートン、モートン」彼女達は、そう言うと、そのうち1人が彼の革のベルトの前を掴んだ。
彼女は彼にサインをしてほしかったのだ。
時間がなかった。
運転手で監視役でもあるSevastianが我々をあちらへ連れて行きたいのだ。
NDR2(ラジオ局)へ向かう小さいバスの中で、ハルケットはいった。
―僕はずっと、かなりのファンサービスをしてきたんだ。
時間のある限りサインをしているし。
だけど、(サインをせずに)通り過ぎるのも問題ない。
僕はみんなを平等に扱いたいんだ。でも、思うようにはいかないね。
みんなを満足させることは出来ないよ。
―また、どこでも知れ渡るようになる?
―いつもだよ。気づかれないけどね。だけど、僕はうなじに目があってね。
どんなシチュエーションからも離れることが出来るんだよ。
―自分の国に帰れば、落ち着いていられるっていう人もいるけど、あなたは、オスロなら落ち着いていられる?
―どういう意味なのかな。もし「落ち着いていられる」というのが、誰もが見ている中で座っているということを言うのなら、そうだね。
君が公共の人になったとき、君は共同体の外で支持されるんだ。やってみなよ
連帯感が君を外で守ってくれるし、それまでとは異なる方法で君をみてくれるよ。
有名なヒットは、とても高くつく
僕は今は泣き言はいわない
ただ、それだけさ
それは、自分で選んだことだ。a-haはその恵まれた容姿とそれと解る声で世界に出て行った。
次から次へとヒットしたが、それは又、彼らのルックスとアイデンティティについてもだった。
ノルウェーの3人組をおそったそれは、まるでビートルズのときのようだった。
泣き叫ぶ10代の女の子達、失神しするもの、そして頼んでもいないのに抱きついて来る子
彼はもう52歳で、目立った笑いじわもあり、頭の上は月が見えているというのに、それでもなお、モートン・ハルケットの容姿について話すのだ。
どれだけ彼を美化してみられるのだろうか?
ハルケットは彼は鍛えていないという。
彼は、プレスをやってみようと思っていたが、彼の経験する他の圧力で不可能だった。
彼は歩くのが好きだ
スーツケースは自分で運ぶ
もし、あなたがその上腕三頭筋はどこから来たのかときけば、彼はHurum郊外の庭で、
葉をかきあつめてるからだよ、と答えるだろう。
彼は簡単に筋肉をつけているのだ。
―君は運が良いね
―全部話したよ。だけど、僕は次々くるインタビューで毎度、僕の身体のことについて
話さなくちゃいけないんだ。困惑する、彼は言った
Out of my handsの表紙で彼が自分の筋肉隆々とした姿を見せたことよりは
困惑することではないのでは?
水の上に見えていたでしょう。女性のアーティストがこの写真のせいで批判されそうなの?
―肌のことではないよ。あれは彫刻のようなものだし。
とにかく、25年間、君たちは僕の身体を帆柱のようにしてきただろう、
だから僕も未だにそれに焦点をあわせている
ヒットと騒ぎ
毎日200万の聴衆を抱えるNDR2では二人の女性が会談の手すりにぶら下がり、そこから
彼に会うために入ろうとしました
指示をうけた男性が、ハルケットにサイン入りのカードを持っていってあげてはどうかと
尋ねた
数分後、彼は中に案内され、録音が開始された。
―a-haの他のメンバーとの関係はどうですか?
Elke Wiswedelのインタビューのオープニングだった。
モートン・ハルケットは、みんながそれを尋ねるのは、彼とポール・ワークター=サヴォイとマグネ・フルホルメンの間に敬意と愛があったのを忘れられてるからだと思う。
彼らはヨーロッパの半分を一言も言葉をかわしあうことなく、運転できた。
彼らは頑固で、怒りを抑えることができたから
だけど、彼らが”Hunting High and Low”,”Scoundrel Days”,
“Manhattan Skyline”,”Lifelines”,そしてイギリスのヒットチャートで5位にまでなった”Foot of the Mountain”を作ったときとでは特質が違っていたのだろうか。
バンドは喧嘩をした。最後にはメンバーがバンドとして我慢できなくなっていた。
バンドとしてこれ以上生きていきたいと考えたメンバーはいたのか?
昼夜、何百回と尋ねられるこの質問に、モートンは答えたくなかった。
―僕はこのタイプの話は疲れ切ってるんだよ
Wiswedelsスタジオでは、ハルケットは3人のコンクール優勝者と番組の案内者と写真をとった。
彼は同じ局の新しいジャーナリストに促される前に、写真と本に、計算書にサインしたのと同じような情熱でサインした。
―a-haのメンバーでの最後の夕食はどうでしたか?
Kristina Bischoffが尋ねた。
これはそれまでのインタビューに比べて奥深いものになった
ハルケットは自分の子供達について話した(「彼らは自分が誰であるかなんて知ってる必要はない、だけど、彼らが誰でなかったとしても、したくないことは選べるんだよ」)
稼ぎについて(「僕はそれは他の人に任せっきりなんだ、概要すらもたない、それは僕を変えてしまうからね」)、そして気候(「世界は泣いてるんだ、文明は崩壊の途中にある」)
“霧の王子”
最近の騒ぎと言えばあるジレンマのことだ:
モートンは「霧の王子」と呼ばれるようになった。彼はパロディー化されている。
嘲笑との紙一重のところで。
彼はしばしば、聞く側にとって忍耐を要するような複雑な話を長くする傾向にある。
インタビューにつぐインタビューで、彼がそうした話を始めると、インタビューアは
目を泳ぎ始め、彼または彼女は退屈し、やがてTake on meやポールとマグネのことや新しいアルバムについて聞きたいと思い始める。そして、最後には「カッコイイ言い方だった」とか「素晴らしい考えだった」とか或いは新聞に後日、「哲学的なハルケット」などと書く。
52歳の彼は再び立ち上がって言う「聞いてなかったの?大事なことなんだよ!」
私はこの尺を1時間以上もっているが、全く「霧」などということはなかった。
それは地球がどうなってきたかという強い興味によるものであり、今日、我々が知っている文明が何もなかったところからどう変化したかだ。
―僕は何もなかったところから出来たものを一つだけ知ってる。それが歌だよ
モートンは言う。
彼は、「人の細胞は毎日6000億死亡し、1秒で1000万が入れ替わる」と書いたハンガリーの物理学者アーヴィン・ラズロについて、少年のような熱意で取り上げる。
それは、南極・北極の氷山の融解、気温の上昇の不安、そして恐らく我々には片付けるのに短い時間しかないという恐怖。
霧?
いえ、でも”Take on me”のマーケットとは異なる。
NDR2から出る間、局のWebはビデオインタビューをした。
質問「”Take on me”をプレイするときはどんな感じ?」
答え「君は座って食べるときどんな感じ?」
質問「歌える?」
答え「今?いいや、僕は命令されて歌わないよ。
僕はメルセデスのエンジニアに何か作ってとは言わないし
配管工に何か閉めてとも言わない」
インタビューが終わった後、彼は言った
「電気を引き出すみたいなもんだよ。彼らは僕に彼らのために歌って踊って欲しいんだ」
階段で、私は彼がこう呟いたのを聞いた
―お願い、マイケルジャクソン、ムーン・ウオークして!
私たちはハンブルクにいる
彼は、最小人数の付き人とドイツを回った:ユニバーサル・ドイツの
広報の女性 Britta OstermannとVIPチームからのお抱え運転手兼監視役、そして、彼が唯一ノルウェーから連れてきたのがマネージャのHarald Wilkだ。
彼ら2人は異なった歴史を持つ。Wilkは1986年、Money Talksのドラマーとしてロサンゼルスに
渡った。”Take on me”がアメリカのビルボードチャートの1位になった
翌年のことだ。
その間にモートン・ハルケットとa-haは裕福に、そして有名になり、Money Talksは元気をなくしていった。
1999年、Wilkはポール・ワークター=サヴォイのバンド、Savoyのマネージャになった。
2005年には彼はa-haの仕事を引き受け、依頼を延々引き受ける者として認知された。
46歳となる彼は、リュックを持ち、ウインドブレーカーを着、背中には吠えてる犬の足を丸く囲ったものをつけている。
だけど、Wilkを優柔不断だと思わないで欲しい。
モートンがEspen LindのScared of heightsを演奏するのも彼のアイディアだし、7月22日の事件の後、彼はオスロでミニコンサートが開かれるであろうことを予感して早々にa-haのメンバーに電話をして言った。
「きっと24時間のうちに我々に電話がくるだろう。そしたら、僕はやると答えるつもりだ」
3人とも即座に「わかった」と答えた。
今、彼はインタビューへ向かう途中のミニバスの一番後ろの席に座っている
Bild新聞はモートンにReeprbahnのバーか売春宿で会いたがっていた。
逢う場所は、植物園になった。
モートン・ハルケット、花に夢中な男はジャーナリストのLien Kapariに彼女が見ている蘭の名前を教えた。
―どうしてあなたはそんなに花に興味があるの?
彼女が尋ねた
―親族だからだよ
―あなたは神様を信じてるの? 彼女はこっそり聞いた
―兎のように跳ねてごらんよ。
僕たちは始め、神に似せて作られたんだ、僕たちが話してるようにね。
これは、違う種類の蘭同志の最初のミックスだ
彼が忌み嫌う猿のような写真を撮られた後、彼はカーシートに身体を沈めて満足した。
彼はギターケースと一緒に旅行をした。
そこにはスタインエッガー自身から貰った新しいギターが入っている。
飛行場のVIP入り口では、契約した女性が、我々の先のチケットを所持し
彼が飛行機にギターを手荷物として一緒に入っていけるよう準備しているだろう。
3人の女性、5人の子供
彼は同棲相手のInez Anderssonと娘のカルメン・ポッピーと2008年から一緒に住んでいる家に帰るだろう。
彼には3人の異なる女性との間に5人の子供がいる。
複雑ですか?
―全ては関係者次第だよ。どういう態度をとるかによるんだ。
子供の状態には意味があるんだ。
(関係者の態度が)子供の成長に影響を与えるのは明らかだ。
(子供同士が)お互いに、或いは離婚した親によって甘やかすこともできれば、自分で頑張ることもできる。受け入れられないことも出てくる。
―別れるのは辛かった?
―簡単じゃないよね。正しい方法だと思うからこそ、その結論に至るわけだけど、関係者の全てが同じ考えだとは限らないから。
近々、家族はまた二の次の状態になってしまうだろう。彼とミュージシャンは練習しなくてはいけないし、ノルウェーのプレスは彼自身を売り込むためのインタビューを行い、加えて、彼はまたドイツへのツアーへと出ないといけないからだ。
どこへ、と尋ねても彼は全くわかっていない
―いい空港だね、
Harald Wilkはモートンと並んで歩きながら言った。
―ここは、Tagel空港?
モートンが尋ねた
―モートン、我々はハンブルクにいるんだよ、ベルリンじゃない。
この週末は、まだ殆ど誰も聞いたことのない新曲と、誰もが知っている古い曲と一緒に、Gardermoenからのジェット機を一つチャーターした。それはシベリアへと向かう。
そして、彼らはモートンが町に出る前に言っていた疑問:
「聴衆はモートン・ハルケットの既存のイメージを持ち続けるのか?」
の最初の答えを得ることになるだろう。
―それこそが、僕がモートン・ハルケットであろうとした理由なんだ。
暫くは新しい僕は姿を現さないだろう。新しいモートンはまだ、コーナーに姿を現してないんだよ
だから僕はもう暫くはこのままかな。