バンドなしの男 (前編)

ノルウェーの新聞Aftenpostenに、インタビューを含むとても長い記事が掲載されました。
ここ数日間のTV2の特番でも出ていた話もあり、ない話もあり……
とても長いので、分割して掲載します。
(後半はこれから挑戦します)

いつものことですが、あくまで自分で辞書片手に訳して、辞書に載ってない単語に関しては
グーグル翻訳を使ったりしています。
また、勉強中のため、あとで修正する可能性もありますが、ご容赦ください。


http://www.aftenposten.no/kultur/musikk/Mann-uten-band-6804302.html#.T43ejdVPHSj
「バンドなしの男」(前編)

4日がたった。ドイツのどの町を訪れたの?―わからないな。
話したラジオ局の名前は? ―覚えてないよ
モートンが知ってるのは、すっかり疲れ切ってるってことだけだ。
首に鎖つけられて、連れ回されてたんだからね。
彼は、プロモーションめぐりについて言った

今、また1枚だけ写真を撮るんだけど……。タブロイド紙用のね。
終わった、これで家に帰れる。そしたら、「ポールやマグネとは友達じゃないんでしょ」とか、「”Take on me”のことどう思う?」って聞かれないで済む。

しかし、ハンブルクの植物園はモートンを閉じ込めた

―僕は偽物のジャングルの中でポーズをとりたくなかったんだ
それは、80年代にやったことだからね、今やることじゃない。
それは自然には見えないし、そう彼は写真家にいった。
それで、密集した植物が集合したところで嫌な顔をしたら、それを使うだろう。

―僕はそれがいやだったんだ。心の中で10年年取った感じがする。
ハルケットは、解放される前に言った。
彼は植物を越えて歩いていけるけど、その中には立っていたくないし、
カメラをみたいわけじゃない。

―笑ってくれる?写真家が訪ねる

―写真とってよ

―じゃあ、笑って

―僕に笑わせることなんて出来ないよ、僕は君の歌って踊れる人じゃないんだ
モートンはかみついた

その名前じゃない
ハンブルク、18時間前:ハルケットのマネージャー、Harald Wilkは報告した。
ハイアットパークで21:30に会合があると。
レセプションは425号室に電話するように。
そこに彼がいる。何か問題が起きたら、自分に電話して。

ハイアットでは、ゲストがお辞儀をして、ハンドボールのコートのように大きい会場へと入っていった。

隅っこにあるカウンターの後ろに3人の女性がいた
彼女達は暇だった

―425号室をお願いします

―君は誰と話したいの?

―モートン・ハルケット

レセプション係はカバーをみた。
そして覗き込んだとき、請求書の宛先が違うことに気がついた

―そんな名前の人はここにはいないよ

マネージャーに電話する時が来た。

―彼は違う名前をかいたはずだよね。
君は契約した相手である匿名の名前で訪ねなくちゃいけなkったtんだ

名前はとても特別なものだった、レセプション係は笑い始めた

―わかったわ。彼女は言って電話をかけた

―Mmhmm、最も有名な声の持ち主は返事をした

a-haをプレイするのは奇妙?

モートン・ハルケットはホテルの暖炉のところへと降りてきた。
革ジャンを羽織り、シャツは胸のところまであけていて、ジーンズは
ライオンと戯れたかのようだ。
それこそ、彼らしい。彼はレコードをリリースする。
この新しいレコードはOut of my handsという名前だ;この10曲は52歳のa-haを終え、ソロアーティストとして長くやっていこうとする彼により注目を集めるだろう。
昨日、アルバムはリリースされた

その前に:批評はこの通り
『とても心地良い音調で、シンプルでちょっと良い感じのポップな曲、だけど決してそれ以上ではない(サイコロ:3)』
『10年前のKentの最強のヒット曲を英語に直すのは決して簡単では
なかっただろう(VG:3)』
『アルバムの最大の特徴は、ちょっとした泣き言や憂鬱感がないということだ』(Aftenposten:4)

ハルケットは、この批評を読む時間はない。
2日後の月曜日には、彼のコンサートツアーがシベリアのクラスノヤルスク
をかわぎりに始まる
彼はロシアとベラルーシで、10日間、夜のショーを行う予定だ。

その後は西に、ドイツ・スイス・ベルギー・フランス、イギリスでの公演が待ち構えている
夏安いが終わったら、オスロ・ブラジル・アルゼンチン、そしてチリを巡る。

これらの土地はa-haが強く支持を受けている国だ。
しかし、モートン個人ではどうだろうか?
彼の全てはa-haを土台としていた。

彼との時間を予約したジャーナリストはみんな、発売後の関係も
1982-2010年までの彼が在籍したバンドをベースに興味を持ちっている。
彼が立ち上げたWebのトップページですら、こうだ
The voice of a-ha -Morten Harket

プロジェクトは自身の確実さと不確実さを浮き出した
Harald Wilkは問う。
「世界は、2012年にa-haの外にいるハルケットへの準備をしているだろうか?
 わからないね。僕たちにとっても賭かもしれない。
 だけど、我々は大丈夫だと思っているよ」

おもだった人は、彼はある場所から始めなくてはいけないという
彼は、人々がa-haの他の2人のメンバーなしに彼を見るのは難しいということが
解っている。
それでもなお、ソロ活動の初期から、彼は大胆なことを考えていた
僕がa-haの曲をやることについて;ポールやマグネと一緒にプレイしないのか?
僕はツアーにでて、僕だけでプレイできるのか?

数ヶ月後には、質問があった:彼はa-haのヒット曲をどれくらい演奏するんだろう?
そしてどれを?
ツアーでa-haの曲をやるというのは、彼にとって敬意を示すためだ。
a-haと、そのファンに。

―いくつかの曲は他の曲よりプレイすることが奇妙に感じる
Stay on these roadsは明白だ、僕はそれが出来るのに大きな役割を果たしたから。
でも、Hunting high and lowはどうだろう
ポールは早い段階で来て、僕のためにその曲をデモストレーションしてくれたんだ、
明白な形で僕たちに見せるためにね。それがHHALが生まれた瞬間だった
それで僕たちは中に入ると、マグネが死にそうなくらい美しいメロディをピアノで
弾いたんだ。
そして、彼は自分が何を弾いたか忘れてしまった。

沢山の人があの曲で僕の声を連想するけれど、僕はプレイするかどうかわからないよ。

―Take on meはどう?
その答えは簡単だな。僕にとっては、もう切り離したものなんだ。
25年の間、その曲は独自に生きてきた。そして、僕たちをいつも侮蔑してきたんだ

彼はOut of my handsでスターの助けを得た。一つはEspen Lindのヒット曲
Scared of heights,。他にはKentのKärleken vantarの英語バージョン。
それだけじゃない、ポップの伝説でもあるPet Shop BoysがListeningを提供してるのだ。
Pet Shop Boys!
West End Girlsで知られる彼らをa-haは1984年、ロンドンに行ったときに
名前を聞いた。

Pet Shob Boysからの曲はどこででも演奏できるだろうね。とても楽しいんだ。

しかし:ノルウェーとスェーデンのカバーとイギリスからの贈り物
彼はその中から信用のおけるものを選ぶのか、或いは急ぎの仕事で自分で作ったのか…

ハルケットは別の視点で考えていた。
彼は、スカンジナビアの良い歌達を、使える形にして、より沢山の聴衆の元へ連れて行けるかもしれないと言う。
それでは、まず、a-haでない彼を聴衆が抱きしめなくてはならない。

投稿者: Tomoko

1985年7月4日、期末試験の直前で部活が休みだった日に、たまたまみたテレビ神奈川の「ミュートマ」で『Take On Me』を見てモートンに落ち、8月25日にアルバム発売というので誕生日プレゼントにしてもらって、モートンの声の多才さに感動。その後、タイトルを最後に言うタイプのラジオで「この声綺麗」だと思ったら「I've been losing you」で、これまたモートンだったことから、自分にとって最高の声だと確信。2010年の解散に伴い、翌年からノルウェー語を勉強しはじめ、現在はMCは聞き取れるようになりました。2022/05/20発売の『a-ha THE BOOK』で、モートンのソロについて書かせていただきました。

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