a-ha再結成インタビュー(4)

遅くなりましたが、再結成インタビューの最後です。
元ネタはこちら

「トップで辞めるのも才能だよ」、a-haのマネージャー Harald Wiik は2010年に私にそう言った。

彼は暫く時間をおこうとしていた。しかし、カムバックに対する音楽業界は、徐々にすさまじいまでのインフレ状態に陥った。
a-haは世界中の大部分において、コンサート会場を満員に出来る名前であり、ブッキング会社やレコード会社、メディアと様々な業界窓口から嵐のように、四六時中、問い合わせと入札があった。

ポール曰く:
「すべてが、このビジネスに振り返ったんだ。カムバックだけが期待されてたんだ。僕らが”もう終わったんだ”と言っても、彼らはこう答えるだけだったんだ」

「ふーん、それで、いつ再結成するんだい?」

モートンとポールがレコーディングした曲を聴くや否や、Wiikはすぐに再結成に向けて動き始めた。
しかし、彼が3人の意思を向き合って確認できたのは、Rock in Rioからの問い合わせがあっての時が初めてだった。

まず第一に考えたのは、お金のことではなかった。マグネは、バンドは報酬のほとんどを良いショーをつくるために使い切るだろうと主張する。しかし、そこには大変素晴らしい思い出がある。

「89年と91年のブラジルでのコンサートは、素晴らしく大きな体験だった。僕らはそこで一種独特の飽和状態になったんだ。長年、どう説明したらいいかわからないような。僕らがブラジルに行くことを知らない人もいるから、もっとその旨を伝えなくてはいけないという部分もあるけど、この国での人気は未だ続いているんだ。
僕がブラジルで入国審査を通るときは、係員がみんな自分のブースから飛び出てきて、僕と写真を撮るんだ」

ポールは、ブラジルがバンドにとってターニングポイントになったのを覚えている。

「それは、僕らがまさしくライブバンドになった瞬間だった。僕らは居場所を確信したんだ。モートンはとてもよく歌えていたし、常に良いバイブレーションがあった。今度もう一度ブラジルに行くことになって
でも、僕は僕たちが出来る限り様々な側面を見せたいと思ってる、ファンも僕ら自身も驚くようなものをね」

Rioでの仕事はそれ自身が金のなる木にはなり得ないが、「カムバック」が巨大な金脈になることは明らかだ。
a-haのメンバーは既に売れっ子であることは明白だが、それでも55歳・53歳・52歳のメンバーにとって、経済的なモチベーションは戻ってきたであろう。

今や多くのノルウェーの芸術家が夢見る絵描きになったマグネは、(復活するという)「絵」はもっと込み入っているという。

「Rioはきっかけであり綺麗な写真でもある。勿論、大勢の人が来場するだろう。そこに金脈があるのは明らかだが、それだけじゃない。僕はきっとうまくこなせる。でも、a-haとして活動するということは、自分がやりたい他のことまで手が回らなくなることを意味している。僕は、700平方メートルの大きさのアトリエを持っていて、そこには3人のスタッフがいるし、コストも莫大だ。それについても、調整しなくてちゃいけないからね」

Rock In Rioの契約は、昨年9月にサインに至り、マネージャーは次の手を打った。12月には、モートンとポール、マグネが契約の場につき、次の2年間にわたるa-haの活動を約束した。

複数のソースによると、今回の復活にあたっての重要な前提は、(バンドの)決定について新しいモデルを導入したことだという。a-haは年間を通して、制作に関する選択や経済的な分配、その他つまらない質問にかなりのエネルギーを費やすことになるだろう。

能動的であれ受動的であれ、3人の間で権力争いがあると、活動にブレーキがかかったり品質が落ちることが多い。

「拒否権は消滅した。a-haでは今は4つの投票権がある。3人と僕だ。これは「少数派保護」とも言える。2:1という支配は最早なくなり、少数独裁の形はなくなる。計画としては、もとは5つの投票権を持とうとしてたんだ、でも、誰も5番目の投票権を持とうとする人がいなかった。信じてくれ、本当にやろうとしたんだよ。でも、期待通り、巨大な才能とポテンシャルの中に私の目が光ることで、バンドは多くのポテンシャルを得ることが出来てるんだ」

a-haのメンバー自身が、充分に特長があり、新しい契約に関して効力を発揮している。
マグネはこのように述べている
「このシステムを僕たちは前に試したことがあるんだ。僕たちはちょっとおかしいところがあるから、合意結果がどうあれ、前と同じようになるだろう。」

「僕らの間での言葉は、よりシンプルにそして明確になった。でも、25年の間、積み上げてきた文化は変えられない。僕は、その文化に寄与したかったし、そのことについて話したかった思いがあった。だから、今、そうしているんだ。僕が今持っているものはとても良いものだから、自分が素晴らしい結果になると思えないものはやりたくないんだ。(作品を)良いものにすることは、僕たちの(聴衆への)責任なんだから」
そう、モートンは主張する。

「モートンが、新生a-haにおいて、より創造的な空間を持つようになったのは明らかだ」

マグネが説明する。

「モートンが彼のやりたいことを決定するというのは、少しばかり新しいシチュエーションなんだ。
彼のソロプロジェクトと、その人脈は彼がa-haのことを考える際の方法に影響を与えたんだ。
モートンの役割はこの『距離感』にある。彼こそ、一人でそれを牽引し遂行した張本人なのだから。
彼は以前よりずっと、積極的なメンバーになった。それが常に問題がないわけじゃないけど、極めてエキサイティングだし健康的だよ。僕らはまだ、一緒に現実的に何かをやってはいないけど、全員が今まで以上に同じ立ち位置でやっているんだ」

ポールもまた、準備万全だ。

「僕は、潜在的な力を秘めた、とても良いアルバムにするための、キラーチューンが用意出来たと感じてる。だけど、自分たち3人が一緒にやるとなれば、いつだって、何かしらの調整が必要になる。最終的に、君は個人的な好みについて話すだろう:この曲は好きか嫌いか。好きじゃないのなら、曲も君についてこない。みんな、自分の好みを互いに言い合うのが好きなんだ、だから俺たちは自分たち自身のために、まだ打ち破っていない場所を探す必要があるんだ。」

(再結成の)決定が最初に下されたとき、名のある3人の50代は、それが挑戦であるとか哀愁であるといったことを長々と述べることはなかった。3人にとって重要なのは、これがノスタルジックな責務以上のものになることだ。

モートン:「この復活(ですべきこと)には、沢山の要求があるんだ。特に僕からのね。僕は、闘牛場で生きている、賞をもらった牛のように、そこにいるんだ。純粋な社会では、僕たちは遠征して良い結果を得たし、古い曲で祝って貰えるけど、それじゃ僕たちのためにならないんだ。新しいことに切り込んでいかなくちゃ。

僕たちは何か新しいことをやっていかなくちゃいけない。でも、今回は、人生における素晴らしいチャンスとして、自分たちの気に入る方法で、新しいことをやってみることにしたんだ。」

マグネは、再結成をより大きく、創造的な関係として見ている。

「修理することで、よりよくなる家具もあれば、もっとグラグラするようになる家具もある。僕たちがどうなるかは、他の人達が評価するに違いないんだ。僕たちは、自分たちの遺産を救う必要はない、それはそこにあるものだから。
僕たちは、今までの30年に抵抗して方向性を変えるような戦いはしない。僕の仕事は、自分がやりたくないと思っていることをやってしまわないようにすることだ。そしてしたいことをする。これは創造的なさずかりもので、僕はそれに感謝してるんだ。
ありがとう、a-ha、僕の腓骨に食らいついてくれて。」

ポールは最後にこう言った。
「戻るのに際して良いものと一緒でなければ、当然、しみったれたことになるよ。でも、僕はこの問題については考えてない、
だって、僕の頭の中に終わりはないからさ」

avsluttaha
2010年ウレヴォール・スタディオンでの解散コンサート。最後の写真ではなくなった。

投稿者: Tomoko

1985年7月4日、期末試験の直前で部活が休みだった日に、たまたまみたテレビ神奈川の「ミュートマ」で『Take On Me』を見てモートンに落ち、8月25日にアルバム発売というので誕生日プレゼントにしてもらって、モートンの声の多才さに感動。その後、タイトルを最後に言うタイプのラジオで「この声綺麗」だと思ったら「I've been losing you」で、これまたモートンだったことから、自分にとって最高の声だと確信。2010年の解散に伴い、翌年からノルウェー語を勉強しはじめ、現在はMCは聞き取れるようになりました。2022/05/20発売の『a-ha THE BOOK』で、モートンのソロについて書かせていただきました。

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