a-ha再結成インタビュー(3)

再結成インタビューその3,ポール編です。
元ネタはこちら。
今回で終わりではなく、その4に続きます。

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昔のように:2010年からポール・ワークター=サヴォイはブルックリンの自宅スタジオで50~60曲を作曲し、演奏した。彼がモートン・ハルケットと初めて数曲を試したとき、それはまるで、1982年にa-haが一番最初のデモを演奏した、 Nærsnesにある彼の両親の山小屋に戻ったかのようだったという。写真: Johannes Worsøe Berg.

2009年、a-haが解散するかどうかの話し合いで、ポール・ワークター=サヴォイは最小派閥だった。彼は、続けたいという意思を決して隠そうとしなかった。のちに彼は、違った見方もするようになった。
「バンドを止めたくなかったのは、そう、僕だけだった。でも、今はなるようになって、とても良かったと思ってる。ツアーミュージシャンでいると、なかなか自分の居場所にはとどまっていられない。ここ数年は、たとえば、オージーとの時間を作れるようになって、良い時間を過ごしてるよ」

ニューヨークにいるポールとの電話で、彼は息子であるTrue Augstについて話した。彼は中学3年生で、空いている時間は熱心にテニスをやっているとのことだ。ポール曰く、ポールは「超がつくほどのテニスパパ」になっているで、週に最低でも4晩は息子とトレーニングに行くそうだ。ワークター=サヴォイ一家は、ニューヨークと休暇を過ごすウッドストック間で時間を過ごしている。

故郷ノルウェーには、Vinderen(*1)に別荘があり、家族は毎年ここで、夏の2ヶ月ほどを過ごす。彼らの生活基盤はブルックリンに移っているのだ。大きく、改装したSohoのロフトで長年過ごした後、文化エリートお気に入りのPark Slopeにある家をポールとローレンは2年を費やして改装した。

「Sohoは、ショッピングや観光場所がだんだんと増えてかなり多くなったんだ。
それに加えて、僕は四六時中全員が同じ部屋にいる、オープンロフトに少し食傷気味になった。今は、5階だてで地下には僕のスタジオがあるんだ。おかげで、ローレンは一日500回聞かされてた僕の曲の最後のドラム部分から解放されたよ」

ポールがどうしていたか知りたい人も多いだろう。
2011年のJimmy Gnecco をボーカルに置いたコラボWeatherwaneは同名曲を出しただけだった。

次の生きてる証はa-ha.comが2014年にSoundcloudとa-ha.comで公開したワークター名義での『Manmade Lake』だった。これは、アルバム『Foot of the Mountain』に入る候補だった曲でもある。
そして、その数ヶ月後には、Linnea Daleのアルバム『Good Goodbyes』で3曲をコラボしている。
5年間の作品は、彼のあふれんばかりの素晴らしい才能を存分に使ってないように見えるかもしれないが、ポールがこの5年間でこれらの曲以外にはテニスと改修のためだけに時間を使っていたと思うなら、それは全くもってポールを理解していない。

自宅スタジオでの日々は長くなったが、彼はここ数年で最低でも50~60曲は書き、演奏している。
「僕はいつでも充分に曲を保持してるんだ。僕とローレンのSavoyのアルバムはほぼ準備出来てるし、ソロアルバムも出来てる。
それから、Jimmy Gnecco の娘Zoeのアルバムの作曲とプロデュースもしていて、これは今年中に出るといいなと思ってるんだ」

加えて、彼はオスロとニューヨーク、両方の自宅スタジオでモートンと会い、幅広く演奏していた。
それは懐かしい感覚で、もっとやりたいという気持ちを彷彿させた。
「僕らはまさに、(気持ちは)全てが始まったあの Nærsnes の山小屋に戻っていたんだ。曲はある、君はこれを歌いたいかい?ってね。スタートに戻ったんだ」

(*1)オスロには15の区域があり、Viderenは、その一つBydel Vestre Akerに属する地域。Bydel Vestre Akerは、かつてあった Bydel Vinderen とBydel Røaが2004年に統合されて出来た。


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